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経歴

経歴(生い立ち)

 

 

大人の発達障害 きのやんの幼少~学生時代

 


幼少期から兎に角落ち着きのない子だった

神奈川で出生。出生時、間もない0歳児に病院の院内感染にて不幸にも脳の難病「髄膜炎」に罹る。(自閉スペクトラム症(ASD)の可能性のあるリスクファクター要因では新生児期の髄膜炎罹患もあるらしい)
0歳時の出産直後から母親と引き離され、無菌室で多くを過ごすが奇跡的にも髄膜炎は完治し幸い目立った後遺症もみられず幼少を過ごす。

乳児の時は殆ど泣かず母親曰くあまり手のかからなかった子のようだったが、物心つきだしてからは元気でとても落ち着きのない子供だったようだ。買い物時には手をつないでいないとすぐどこかに行ってしまいいつも迷子になっていたようだ。あまりにも多いので両親も「そのうちどこかで大声で泣いているか、迷子の館内アナウンスが流れるからそれまで待てばいい」と言っていたほどだ(笑)。
小学校に入ると通信簿では必ず「いつも元気はあるが、落ち着きがありません。もう少し考えてから行動するようにしましょう」と書かれる。体を動かす事が大好きで、短距離走や球技が得意であったがマラソン(苦しい事)や水泳(水)が大の苦手だった。

外で友達と遊んで帰るといつもどこかしらケガをして帰ってきたらしい。酷いときは公園のジャングルジムで遊んでいた時、2mもあろう高さの一番上から鉄のパイプに何度も頭を殴打しながら頭から地面に落ちたり、ブランコを漕ぎながら前にある鉄の柵超ジャンプを平気でしてみて失敗して柵に衝突したり、シーソーを友達と2人で激しく揺らしてシーソーを壊したり、スケートボードで坂から急降下して失敗して全身擦り傷を負ったり、急に道路に飛び出して車にひかれたり(幸い大事には至らなかったが)、とにかく危なっかしくて生傷の絶えない子供だった

 

落ち着きがない子イメージ

 

 

発達障害は仕事ができない、仕事が続かないと嘆く前に活用したい就労支援サービスフローチャート

 

元々の運動好きが嵩じて硬式テニスにはまる

その後埼玉に移り、小学校5年生からは両親の影響で硬式テニスを始める。はじめは両親がテニスをしている脇で一人でラケットを持って1人遊びでボールを打って楽しんでいたが、母親(母親は運動神経抜群で球技もうまかった)の遺伝の影響かすぐに慣れて物足りなくなり、テニススクールに通い始める。

体格が華奢で背も低かったが、テニススクールではジュニアクラスでは物足りなくなり、一般クラスで大人に混ざりスキルを磨く。しかしそれも物足りなくなりテニススクールを何度も変えることに。
中学に入ると日本で1番有名なジュニア育成プログラムがあるテニスクラブや強豪高校を目指すジュニア選手が多いテニススクールに通い、同じく県内の強豪高校に入る事を目指すことになる。平行して公式の県大会などに出場し優勝や準優勝、3位などの戦績をおさめる。

 

テニス子供イメージ

 

高校は県内のスポーツ全般で有名な私立学校に受験ではなくテニスのスポーツ推薦にて入学。小さい頃からテニスしかしてこなかった為、学業は苦手であったが、発達障害特有なのか決められたテスト(期末テスト)などでは詰め込み勉強でいつも高得点をだし、スポーツクラスで周りが勉強不得意ばかりということもあり毎回、特待生(授業料半額)に選ばれていた。(母親は今でも言う「私立で学費が高かったから毎月の学費半額は本当に助かった」と。)

テニス部では副キャプテンを務め、高校3年間では私含めた同級生全員が先輩の体育会系的な悪質な体罰やイジメにも耐え、顧問の優秀なテニス教育のおかげもあり心技体をみっちり鍛えられ、インターハイ個人戦でダブルス ベスト32、シングルス ベスト64  全国選抜団体戦でベスト8の戦績を残す。
卒業の際、顧問から「部活で一番成長したのはお前だ」と言われた時が一番嬉しかった。

 

体格の問題からテニスは高校で諦め専門学校へ。専門学校卒業後、社会に出てから私の転落人生が始まる

大学もスポーツ推薦の話は頂くが、高校3年間での体育会系で嫌気がさした事と現役から感じていたが体が華奢で細い為、体格の大きい相手が多くなる高校,そしてこれからの大学での競技テニスに限界を感じ、大学へのスポーツ推薦のお話はお断りする事に。そしてテニスしかしてこなかった為、他にやりたいことも分からず何も深く考えず当時全盛だったコンピューターグラフィックの専門学校へ通う。しかしその後、専門学校卒業の年がちょうど就職氷河期になってしまいほとんどの学生が志望する会社に入社できないという非常事態を経験する。

同様に私も卒業までなかなか就職先が見つからず、最終的には 就職担任の紹介でなんとか中小企業への入社が決まる事になったのだが... 

 

大人の発達障害 きのやんの成人期

 

就職氷河期世代+大人の発達障害(自閉スペクトラム症(ASD)+注意欠如・多動症(ADHD))という要因もありその後、転職&無職を繰り返し苦悩の人生を送る

転職を10回以上も繰り返し全てが中途半端。多くが発達障害が起因しての社内対人トラブルが原因で短期間で辞めてしまい、社会的スキルや職業スキルを養うことが出来ず、転職や無職を繰り返す転落人生を送る

 

転落人生イメージ

 

 

【労働者側】当事者が教える「発達障害を持つ人(または疑われる人)は仕事が出来ない」と落ち込む前に注意したい7つのポイント

 

               職歴

 

職歴

 

注:ここから先の職歴に関しては時系列で分かりやすいように1ページにまとめてます。
また企業が特定されないよう配慮しております。また発達障害者の視点から読者へ心情や困りごとや共有事項などがなるべくに手に取るように分かりやすくする為、自身の体験を主体的かつ詳細に記載しており、且つ職歴も10社以上あるため非常に文章が長くなっております。興味がある方は休み休み読んでみてください。

【職業適応度】レベルについてはあくまで「私自身の障害の適応度」であり、人により障害の種類や度合いは異なる為、参考までとしてください。
読者によっては一部不快を感じる表現がございます。長文、乱文にご容赦ください。
(番号が若い順番から勤務した順番となります

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中小の某情報処理会社(勤続6か月程)
テニスのコーチ(勤続6か月程)
携帯電話の販売(勤続1年半程)
デザイン会社(勤続6か月程)
コールセンター業務(ISP)(勤続10年程)
⑥実家業の着物のECサイト運営(勤続3~4年程)
⑦コールセンター業務(CATV)(勤続3か月程)
⑧葬儀会社の葬祭業務(勤続3か月程)
⑨コールセンター業務(免許系)(勤続6か月程)
⑩コールセンター業務(ISP)(勤続1年8か月程)
⑪通信会社でのヘルプデスク業務(勤続4か月程)

(間で無職期間あり。中には数日や1日で辞めた職もあるが職歴にならない為、割愛する)
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①中小の某情報処理会社(勤続6か月程) 
【職業適応度(私の障害に合っていたか)】・・・★

職歴 職場イメージ1

 

専門学校でやってきたデザイン系とは全く関係のない都内にあった会社で今振り返ってみてもいまいち実態が分からない会社だった。(専門学校はCGの専門学校に通う。就職の際は就職氷河期で選べる会社が全くなかった)

主な業務内容は帳票システム開発を行っており(帳票システムとは今でいう顧客情報のエクセルデータのようなもの)その業務部に配属される。業務部は新入社員の私含め3人のみ。1人は大型機械で帳票カセットデータを作成するベテラン社員。もう1人はUNIXというシステムを用いフロッピーデスクに帳票データを納品するベテラン社員。そして私含め系3人のみ。
当然私はUNIXなど触った事もないため使用方法分からず、研修というのもなくベテラン2人は納品物作成や納品作業に大忙しで私は社内で放置状態・・・(泣)そんなある日の事、UNIX担当のベテラン社員が突然退職してしまう。すでに以前退職した元別社員にヘッドハントされてしまったようだ。

そしてカセットデータ作成の寡黙ベテラン社員と私の2人きりに。そんな事はお構いなしに営業はバンバン仕事を業務部におろしてくる、当然、業務がまわせずパンク状態になる。PCにもの凄く詳しいアルバイトを入れるも業務内容がマニアック過ぎて引継ぎもされていない為、アルバイトもお手上げ状態でさっさとやめてしまう始末。カセットデータ作成のベテラン社員にHELPを求めるも「俺UNIXわからねえから」と一言・・・(泣)
この窮状を営業や役員に相談するも「大丈夫なんとかなるよ。きのやんさんまだ入ってきたばかりなんだから」と業務内容を全然理解していない営業と役員はニコニコ精神論で訴えてくる。(ここ大丈夫か?・・・)

いよいよ追い詰められた私は毎日0時近くまで会社に残りなんとか現状打破を試みるも誰も助けてくれずやむなく退職 THE ENDとなる。

後にネットで調べた情報だが、この会社の社長は女性社員かアルバイトに身体的セクハラを行いその被害女性が訴えたらしく、最終的には書類送検された挙句、社長は逮捕!会社は倒産していたようだ

そういえば社長はなんか怪しいエロおやじ風の奴だったなあ。新卒で入った会社がこんな悲惨な所とは・・・ついてなさすぎるぜ俺・・・トホホ)

総括:発達障害特有の要因での退社ではなく一種の不可抗力(就職氷河期で紹介してもらった会社しか入れなかった為)でブラック企業に入ってしまうというツイてない例である。

 

②テニスの契約コーチ(勤続6か月程)
【職業適応度(私の障害に合っていたか)】・・・★★★

テニスイメージ

 

新卒ブラック企業を経験し意気消沈している時に次についた仕事は特技を活かしたテニスコーチだった。このころは住まいを神奈川に移し(親の仕事の関係)実家暮らしをしていた為、近くのテニススクールで募集していた契約コーチの仕事をすることにした。

仕事内容自体は当然自身に合っていたが結果的には半年で辞めざるを得ない状況となるその原因は「給料の低さ」と「アルバイトコーチ、支配人と馬が合わなかった」ためである。まず注意欠如・多動症(ADHD)の特性にあった活動的で自身の長所である話好きと人当たりの良さから、スクール生徒さんには気に入られていたようだ。

しかし契約コーチであるのに月給が6~7万円しかもらえず、同世代のアルバイトコーチより断然低いのであるテニスのコーチ業はサラリーマンのように出社したら会社にいる時間分給料がでているという考え方ではなく1レッスン(90分)でいくらという報酬となっている。レッスンがなくクラブ内にいる時間は無給なのだ。そのため沢山レッスンを掛け持った人の方が給与が高いという考え方である。またヘッドコーチだと当然客単価もあがり、なおかつプライベートレッスン(マンツーマンでのレッスンで単価が高い)でいかに自分のお客様を多く持ったもの勝ちの世界である。入ったばかりの私はいくら競技経験があるとはいえ当然コーチの経験がない為、レギュラーレッスンも少なければプライベートレッスンのお客様もほとんどいない。

仕方がないといえばそうだが納得がいかないのが、同世代のアルバイトコーチ(こいつがなんと偶然にもインターハイダブルスのベスト64で対戦し競り負けた相手なのだが、その相手が杉村太蔵氏(元衆議院議員)と一緒にダブルスで組んでいたペアの男なであった。戦ってみて感じたのは杉村氏よりこいつの方がダブルスは上手かったのは事実だが・・・)の方が給料が断然高いのである。レベルもほとんど変わらず、入った時期もそこまで開きがないにも関わらずだ。
ここはまあ仕方がないと考えていたが、納得がいかないのがその同世代 アルバイトコーチの人間性チャラいキャラで毎回私を馬鹿にしたような態度で接するのだ。いつもそいつと一緒につるんでいた1つ年上の大学生のアルバイトコーチも実力は高いがこいつもチャラく、チャラい同士いつも2人でつるんでいる。競技レベルではヘッドコーチのほうが上記2人よりもレベルは下だが、ヘッドコーチはいつも私に親切に接してくれ、教え方など上手く目を見張るものがある。やはり人間性も含め「ヘッド」な訳なのだ。

そんなで(実家暮らしだが)給料が低く生活も厳しく納得できない為、支配人に時給(レッスン料金)を上げてもらうよう直談判したのである
そうすると支配人は「何を生意気なことをいっているんだ、第一君はコーチなんてそんな長くやってないだろ。そんな簡単に時給なんてあげられるわけないだろ」と吐き捨てるようにいう。一見至極最もの意見だが、この支配人に上記チャラい同士は媚びを売って、へつらっているのである。また支配人も満更ではなく2人を目の中に入れても痛くない程にかわいがっており。それが高時給へと結びついているようだ。気持ち悪い・・・

一気に怒りがこみ上げてくると同時にやる気が失せた僕は支配人に一言「一生、あんたのポチの助さん角さんとじゃれあいながら宜しくやってくださいよ」と吐き捨て、こんな職場辞める事にした。

総括:これは発達障害が原因と思われる退職。定型発達者なら嫌な同僚や上司がいても仕事と割り切ることができ、また効果的な接し方や対処方法が分かるものだが、発達障害はそれができない(嫌な人は嫌、嫌な事は嫌)。また最後に言わずにはいられない、言ってはならない一言を言っている。今思い返しても合点がいく。発達障害者の人は「上手く立ち回れない」のである。

 

③携帯電話の販売員(勤続1年半程)
【職業適応度(私の障害に合っていたか)】・・・★★★★

携帯電話イメージ

 

自身が小さい頃からずっと続けてきたテニスを生業とすることに挫折し、次の仕事の展望も見えない中で求人雑誌眺めていた私はふと以前兄が携帯電話販売していた事を思い出し、派遣社員で携帯電話販売をやる事にした。(これも注意欠如・多動症(ADHD)特有の何も考えず突き進む典型例

当時はPHSからガラケーに移行中の過渡期でありとりわけガラケーの勢いがすごかった。その中でも私が担当したのは〇〇フォンという携帯電話で某女優をモデル広告に立てて破竹の勢いで加入者を伸ばしていたキャリアだ。キャリア初のTFTカラーディスプレーを採用など先進性を前面に、「どこでもつながる。いい音で」(確かそんな感じだった)をキャッチコピーに展開していた。また若い女性向けに「たまごっち」のようなかわいいキャラクターが出てくる携帯もすごく人気だった。

そんな業界で販売員として当初は都内の家電量販店にスポット(短期) として派遣され店頭に立ちながら通行人に対し呼び込みをして契約締結に結び付けるという仕事だった。当然商品知識や他のキャリアサービスの勉強も必要だったが、なにより注意欠如・多動症(ADHD)が得意とする「対話」がメインでお客様と他愛のない話題から商品説明、契約締結に結び付ける仕事内容は、注意欠如・多動症(ADHD)の獲物を狩りするイメージでとてもハマってやりがいを感じていた

そして注意欠如・多動症(ADHD)特有の事務作業が苦手な点にしてみれば最低限、契約書の書き方を覚えておき、お客様に契約書いてもらい後は開通センターにFAXするだけでよい。多少のミスはあり開通センターから確認連絡は入るもののそのくらいであれば特に障害の支障なく働けた
契約さえしてもらえば後の不明点は基本的にはサポートセンターに問い合わせていただくでよいからだ。

特にやりがいを感じたのがキャンペーンディレクターであった。キャンペーンディレクターとは当時よく店頭で女の子数人にキャリア特有のコスチュームを着せてマイクで自社のサービスを宣伝勧誘するチームをサポートする役である。マイク以外の女性はデモ機を持って脇でニコニコして適宜お客様に呼びかけをしているだけだ。このキャンペーンなるものも他のキャリアも同様にやっていたが、例えばドコモはどちらかというと「清楚で落ち着いたお姉さん系」で商品の安心感を訴求していたが、 〇〇フォンは真逆でどちらかというと「元気いっぱいの少女系」で当時ブランドの勢いを訴求していたのである。

キャンペーンディレクターの仕事は、そんなキャンペーンガールたちの勤怠管理や店頭販売中のアドバイスまた販売戦略(キャンペーンブースの展開の仕方、アナウンスの文章内容、お客様への声掛けシナリオなど)を行いながら、自身も店頭に立ち(コスチュームは着ない)一緒になって盛り上げ販売拡大につなげるという仕事だった。

当時は「女の子たちの周りで仕事ができる」と皆に羨ましがられたが、これがやってみると結構大変でキャンペーンガールの突然の欠勤や仕事中の体調不良(炎天下や極寒でも店頭に立つため、熱中症で倒れる子や低体温症になる子も多い)、また店舗の携帯販売責任者からの叱責(目標販売台数に達していなかったりすると怒鳴られる)など結構ストレスが溜まるのだ、ただ幸いな事にキャンペーンディレクターをやっている時は勤務先の店舗もスポットではなく既に「常勤(店舗が固定で働く事)」となっており、他のキャリア販売員がキャンペーンに協力してくれてサークルみたいにワイワイお互い刺激しあいながら仕事ができていた為(発達障害では周りが協力的でかつサークルみたいに頑張れる環境が望ましい)キャンペーンディレクターや常勤販売員はとても自分には合っていた。

そんな中でずっと続けていこうと決意するもここでも思わぬ状況になるのだった

情報機器分野は進歩が速く目まぐるしく変わるが携帯電話などはその最たるものだ。一時期の平家全盛の時代も源氏にとって代わられた様に、携帯電話キャリアも各社熾烈な争いを繰り広げており、各社の売り上げ状況ががもろに販売員にも影響を受けるのである。破竹の勢いであった 〇〇フォンもドコモに食われはじめ勢いに少しづつ陰りが見え始めたあるころ私は店舗の携帯販売員の人員削減の煽りをうけたのであった。当初2人いた 〇〇フォン販売員は1人に減らされると派遣会社から通達があり私がそのあおりを受けたのだ(理由はもう一人より販売実績が低かったという)。
やりがいを感じていた販売員であった為とてもショックを受けたがこればっかりは社令なので仕方がない。

悔しさを必死で堪え、楽しかった思い出をそっと胸にしまい込み、新たなる人生を歩もうとするのであった・・・(ちなみにここで意気投合した別のキャリア担当の男性販売員とは現在でも良き親友として家族ぐるみの交流があるのだ)

総括:退職理由が発達障害が原因かどうかは正直不明。表向きは販売実績が理由で人員削減の煽りを受けた形だが、もしかするとそれ以外にも自分でも気づかない内容(勤務態度や商品知識、対人関係など)も考慮された可能性もあり。しかしそれは今となっては正直分からない。職業的には私の障害でも「合っている」と感じた数少ない仕事であったのは間違いない。

 

④デザイン会社で見習い(勤続6か月程)
【職業適応度(私の障害に合っていたか)】・・・★

デザインイメージ

 

実力(販売実績)でリストラされたも同然で打ちひしがれている自分だったが、若さがまだあった為、「まだまだやれるはずだ」と自分で思い込んでいた。また求人を眺めながら注意欠如・多動症(ADHD)特有の様々な考えが浮かび出した「俺は何の為に専門学校にいったのだろう」「専門学校の2年間は何だったのだろうか」と。今一度高校卒業してからの自分を問い直し学校で習った事を仕事に活かしたいとの気持ちで都内にある小規模のデザイン会社の門を叩いたのであった。

結論から先に書くとそこでは社長と喧嘩別れのような形で退職を余儀なくされる。

そのデザイン会社は大手広告代理店の近くにあり主にそこからの業務を受けている会社だった。デザイン内容は多岐にわたるが、その会社の業務は主に携帯電話パンフレットのDTPデザインであったり、たばこのパッケージ商品デザインなど様々なデザインを請け負っていた。社長含め社員は全員で5人ほどの小さな会社でここの社長は今まで自分が会った人の中でとりわけ「強烈な人」であった今思い返すとこの社長も恐らく「発達障害」があったのではないかと思う。

体格は華奢で身なりは失礼な表現だが浮浪者そのもの顔は痩せこけ髪はボサボサで肩まで伸ばしっぱなし、服装は地味な色を好んで着ているが時計は高級腕時計。歩き方は猫背で前かがみ。眼光は鋭く、話は結論から延べないと怒り出す性格だ。性格のタイプ的にはまさに織田信長を現世に蘇らせたような人だった。

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社長の逸話だがクライアントと次回作の商品の打ち合わせをしていたときだが会話の中で「売上〇千万円に対し、経費を〇〇分引いて、利益がいくらで。そこからメーカーに納めるお金〇〇〇万円差し引いて、それから御社(広告代理店)に〇〇%お渡しして、残った金額〇〇〇.〇万円が私たちのお金で宜しいですね」と一瞬で暗算してみせるのであった。広告代理店の担当者は一瞬固まってしまい慌てて「えっ、あそうですね・・」と返すしかない雰囲気なのだ。
またもう1つは取引先の納品期限がいよいよ迫っている案件でみんな徹夜でデザインを考えている時に「お前たちこれだけ時間があるのにまだデザインも出せないのかっ!仲良しクラブじゃないだよっ!なんでいつも俺がいないとちゃんとしたデザインできないんだよ!」と怒り出したかと思うとものの数分でデザイン画を書き上げ「これでどうだ!?」と皆に聞くそのデザインは目を見開いてしまうようなデザインセンスで自分が何百年頑張っても、社員が何人束になってデザインを作り上げても出せそうもない消費者心理を考え抜いた完璧なデザインなのである。当然、デザインセンス、論理思考ともに社員で社長に逆らえる人は1人もおらず社員は皆黙ってしまうのである。飛びぬけた思考力と人並はずれたデザイン力そして短気で部下に冷遇する。現世にも信長は存在したと思ってしまう出来事であった。
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入社後はまずオフィスの掃除や雑用、先輩や社長へのお茶くみなどがメインであった。それが終わると男性先輩社員(30代位)の横について仕事を学ぶ事から始まった。正直いうとこの先輩は血液型B型特有の性格で一言でいうと「自分勝手」。私が苦手とする人物であった。

専門学校ではウィンドウズ端末であったがここではマッキントッシュをつかう為、まずPCの操作感覚からして全く違う為、操作させてもらっても馴染めない。また分からない点があって先輩に質問しても「あ~。それは適当にこうやればできるよ」と曖昧な指示だししかしない。(発達障害は曖昧な指示だしが苦手なのだ)そしてデザイン会社に勤めた経験がある方なら常識だとおもうが、まず時間通りに帰宅できない。夜遅くなる事も多く終電後に仕事が終わる事もザラである。酷いときには夜中までオフィスで皆仕事をして、そしてなんと寝る際は布団がないので大型パッキン(梱包に使うプチプチ)を布団代わりに体に巻いてオフィス内で寝るのである

そんな状況でオフィスで寝ない時は退社後は終電を過ぎている為、一人暮らしの先輩の家にタクシーで一緒に行き、泊めさせてもらう毎日だった。そして先輩宅では先輩の仕事をみながら少しでも仕事のスキルを吸収できればと思っていたが、なんせ夜中の1時や2時なので眠くてしょうがない。そのうち先輩は仕事をとっとと放り投げ、ひと段落したらゲーム機でいつも「ぷよぷよ」を始めるのである。正直者の私には理解できないがなぜ仕事を持って帰ってやろうとするのにいつも「ぷよぷよ」を始めるのか・・・「一緒にやろうよ」といわれるがそんなもんできるはずないだろう、俺はあんたにマックやデザインのコツを教えてもらいたいんだ!(笑)
(今ならわかるが先輩は職場で要所要所でギアを上げ納品作業に間に合わせるという定型発達の人なら可能な離れ業ができていたのだ。発達障害者はそのようなメリハリが難しい

そんなこんなで先輩ともあまり親しくなれず、社長の社内に対するプレッシャーも強く肉体面でも精神面でも追い詰められていたとき自身に思わぬ災難が襲うのであった。

ある朝、社員が起立をして朝礼をしている時、私は突然意識を失って倒れたのだ原因は睡眠不足と過労によるものだった。当然といえば当然だろう。周りに良き理解者もおらず毎日朝から夜中までクタクタになるまで職場に拘束され信長社長のご機嫌を気にしながら毎日ヒヤヒヤしなければならない。倒れない方がおかしい。そんな事もありデザイン業界の現実を突きつけられ、自身の考えが甘すぎた事をこの時になって初めて気付いたのだ・・・これでは仕事を覚える前に体が崩壊してしまう。周りの社員はスーパーマンなのだろうか? 

生命危機をいち早く察知する注意欠如・多動症(ADHD)は決断は早い。早速社長に辞意を申し出るが、「何を言っているんだね君は、今この忙しい状況でそんなこと言うなよ!」と社長はとりつく島もない。(忙しいいのはいつもじゃねーか)と内心毒付きつつもタイミングを見計らって社長に辞意を表明するも相変わらず取り合ってくれない・・・いよいよ追い詰められた私はネットで正式な辞表の書き方を調べて社長に渡すことに。

あまり忙しそうではない午前中に社長の所に行き辞意を伝え辞表を渡した。ところが社長は「こんなもの受け取れんっ!!!」と激しい剣幕で辞表をこちらに投げつけ返す。
売られたケンカは買うのが注意欠如・多動症(ADHD)。私も負けじと心身ともに限界です。もうこんな所ではやっていけません!!!貴方の下でなんか働いたら命がいくつあっても足りません!今日で辞めさせてもらいますっ!」と辞表を社長の顔めがけて投げつけて、急ぎ会社外へと飛び出したのであった。その社長に辞表を投げつけた時の社員一同の顔は今でも脳裏に焼き付いている。皆あっけにとられている顔である。

社員達の顔を浮かべながら後ろめたさを少し感じつつ、オフィスを出た空は私の心を映すようにどんよりと曇り始め、雷と豪雨が降り注ぐ土砂降りの中、私のかき乱された心を洗うのであった。

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PS :のちに携帯に先輩から電話がかかってきて聞いた話だが「あんな辞め方したの君だけだよ。大体みんな辞める時はメールかFAXで社長に顔を合わさず辞める人が殆どだったから。もっと上手くやりなよ。まあ僕も君が見せた社長へのあの切り替えしには清々したよハハハハあとさぁ・・・」と。むかつくB型先輩の話なんて最後まで聞く必要なし。そのまま電話を強制切電w
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総括:結果論から言えば発達障害が起因する社長とケンカ別れの退職(ハラスメント要素も多々あり)。

だが根本的にデザイン業界とは何たるかを理解せず、またその覚悟がないまま専門学校に行った事が過ちであった。そもそも注意欠如・多動症(ADHD)の人が活躍しやすいクリエイター系の仕事でも何の仕事でも、そのスキルを構築するには様々な下積みや苦労を経ないとならないわけでその苦労もせずその前で諦めて辞めてしまう忍耐力のなさも注意欠如・多動症(ADHD)障害の特徴の一つだと思われる。
やはり「嫌な事があると反抗し易くその場から逃げたくなる」傾向が自分は強い。また発達障害は周りに相談できる人やフォローできる人がいないと仕事を続ける事が困難である為、このような環境(相談者がいなく張り詰めた空気のなかの業務)は本人にとって地獄だ。

それにしても夜中まで仕事しエアパッキンを巻いてまでしてオフィスで連日就寝し、働き続けなければならない環境は定型発達の人でも並大抵事ではないだろう(笑)。やはり「業界」が特殊だったことも否めない。

 

⑤コールセンターでオペレーター、チームリーダー、スーパーバイザー業務(ISP)
(派遣→契約→社員 計勤続10年程)【職業適応度(私の障害に合っていたか)】・・・★★★★★

コールセンターイメージ

 

デザイン会社を半ば強引に退職した私は数週間ほど心が「空っぽ」になっていた。特技のテニスも専門で学んだデザインの仕事も断たれた私はこの後何をしてよいのかわからず半ば家に引きこもっていた。

そんな息子を見かねてか親父は時間があれば求人雑誌に目を配りながら息子の次なる仕事を探していた。ある日親父より「おい。こんな仕事どうだ?」と呼ばれた。求人雑誌に目を落とすと「コールセンターのオペレーター業務」と書いてある。勤務地は都内で時給は1700円で派遣社員。悪くない時給だ(今に比べて昔の方が高時給案件ばかりだった)。

しかしコールセンターなどやったこともなく職場環境もイメージが湧かなかった為、「コールセンター??そんなの俺できるかな?第一クレームとか多そうじゃない?」親父は「時給がいいぞ。いままでの仕事がうまくいかないなら全く環境の違う未経験の仕事をしてみるのも面白いかもしれない」と言う。おやじもADHDだな(笑)。なるほど・・・「未経験の仕事」。
このキーワードに注意欠如・多動症(ADHD)脳は反応した。「確かに面白そうだ」やってみよう! 決断すればあとは早い注意欠如・多動症(ADHD)。早速、派遣会社に登録して仕事が決まった。

父親に勧められて軽い気持ちでやった仕事だが、皮肉な事にここは結果的に10年もの長期間続けることができた唯一の会社である。

実家からドアツードアで1時間ちょっとだ。そこの業務は当時全盛期だったISP(インターネットサービスプロバイダ)のコールセンターで今では数少ない超大型のコールセンターだった。今でこそコールセンターは災害のリスク分散や地域の雇用拡大の関係で各地に点在しているが、昔は1点集中で大規模コールセンターがメインだったのだ。都内の大型ビル1階フロアを借り上げており聞いたところによると家賃は月に数千万円らしい・・・(家賃〇〇〇〇千万円って。どんだけ高いんだよw)

センター内は横幅200m,縦幅50mほどはあるだろうか、フロア以内には常時1000人ほど着台しており入った瞬間、1000人のオペレーターの話声に圧倒される空気だ。さらにひな壇があり順にSV(スーパーバイザー)、MG(マネージャー)、そしてトップのセンター長ほか幹部と上段になるほど重鎮が座る仕組みとなっている。

研修は1度に数十人規模で開始するが座学研修を終えOJT(実際に研修担当が横にいる状態で電話を取り始める業務)を開始する頃には十人程に減っているみな顧客に怒られたり、業務内容についていけず脱落していくのだ。やってみた感じ私としては色々な人と会話できるし、特に苦手な事務的な書類仕事やミスの許されない綿密なプログラミング業務などもない。
ある程度PC内には業務のイントラネット(業務内の情報が格納されている社内情報サイト)を見ながら調べて回答できるのでそこまでストレスはかからないそしてクレームも下記に述べる理由で比較的対処し易かった。ただ大手の為、サービス情報量が多いので「覚える」のではなく「いかに素早く情報を探せるか」がポイントとなる。そしてもし分からない場合は保留にして上司にエスカレーション(質問する)だけでよい。

なんていい職場なんだ!」と内心喜んでいた。

そんなこんなである程度独り立ちして電話が取れるようになった頃、ある壁にぶつかるリーダー(エスカレーション先で座っている上司)との相性なのである。発達障害は業務内容もそうだがそれにもまして対人関係(特に対面での現存する人間とのコミュニケーションに難があるのだ)。丁寧に教えてくれるリーダーならいいが。高圧的だったり、不親切な指示しかしないリーダーも多いのであるその為、売り言葉に買い言葉になりやすく結構口論になったりして、本来のお客様対応でないことにストレスと神経をすり減らす機会が多いのだ

チームリーダーとはオペレーターを経験している為、本来そういった事を理解したうえでリーダーになるべきだが、やはり人間同士、どうしても相性というものがあるのだ。では別のチームリーダーに聞きに行けばいいではないか?と思うかもしれないが、これが中々難しい。あなたがリーダーの立場に立ってほしい。近くのオペレーターが自分を素通りして隣のリーダーにエスカレーションにいったらどんな気持ちになるだろうか?嫌な気分になるはずだ。自分の指示だしが悪いからって?みんなそうとは思っていないはずだ、自分が嫌だと思っているリーダーは実は他の人には良いリーダーだって思われている事は多々ある

そんな事情でどのオペレーターも例外なく「社内の思わぬ敵」と並行して戦わなければならないのだ。ただ幸いなことに毎日座席は変わり出勤するリーダーも毎日変わる。これが発達障害の私としては幸いなことだった。ストレスが軽減され嫌なリーダーとの接し方も少しづつわきまえるようになってきた。

いままでの自分に比べ大きな進歩だ!そして更に幸いな事にその頃にはチーム配属され他のオペレータとも仲良くなっていたし、さらに他のチームの別のオペレーターやリーダーとも仲良くなっていて気づけば複数のコミュニティが誕生していたのだ。私は元来体を動かす球技スポーツが大好きであった為、そのころにはテニスサークル野球サークルフットサルサークルなど複数のコミュニティーサークルに所属し、休日の練習や試合参加に打ち込み、気づけば仕事以上の熱量をサークルに費やしていたのだ

テニスサークルでは合宿でコーチ役として他のオペレーターのテニス仲間に無償で教えてあげたり、皆でワイワイ泊りがけでキャンプしたりするのだ。野球も同様に練習し強いチームと対戦したりする。そして一番ハマったのがフットサルサークルでサッカー経験の男の子が主将となり私たち未経験者を教育してもらい頻繁に対外試合を行いレベル上げをしていってスーパービギナーズ大会(スーパービギナーズと言ってもサッカー経験の多いクソ強いチームがゴロゴロいる大会)などで優勝したものだ大学のサークルみたいで「もう毎日が楽しくてしょうがない」この時期が今思い返すと、仕事人生で一番楽しかった時だった。

そんな充実していた頃、思わぬ出会いがあった。社内恋愛で彼女が何人かできたが実はその中の1人が現在の「妻」なのだ。

奥さんとの出会いは彼女が新入社員として入ってきた時に私がOJT担当として彼女を教えたのがきっかけだ。最初は彼女がOJT担当の私に好意を持っていたようでそれから付き合うようになった、という流れだ。彼女曰く当初の私の印象は「優しく、親切で面白かった」ようだ。彼女は結局クレームが苦手で早期に退職してしまったが、私たちは社外で付き合っていた。付き合っている間は何度も別れたり復縁したり色々紆余曲折はあったが最終的には今は毎日冗談を言いながら友達のように仲良くやっている。

話を戻そう。そんなで私のこの仕事は順調に進んでいき、私の意外な特性が買われてある部署へ配属となった。その意外な特性とは「クレーム対応が上手い」事だった本来、発達障害の人はクレーム対応などは苦手な部類に入る人も多いと思うが、私はその苦行に向いていたのだ。

クレームというと皆のイメージは「怒鳴られる、怖い、どう対応してよいかわからない」等のイメージをお持ちかと思う。確かにその通りだがそれは正しくは「クレーマーと正面から向き合っていない」のである。あなたも何かのサービスで納得いかず文句をコールセンターのオペレーターに言ったとしよう。その際に適当にあしらわれていたり、言い訳されたり、逃げようとしたら猶更そのオペレーターに怒りをぶつけると思う。「それが」いけないのだ。クレームは訳すと「主張、要望」だ。
クレームには大別すると2種類あって「本当に困ってサービスを変えてもらいたくて伝える」パターンと、「憂さ晴らしで文句を言いたくて言ってくる」パターンがある。真剣にお客様と対峙しなけならないのは前者だ。ポイントは3つ。

①「傾聴=お客様の声に真摯に耳を傾ける」
②「謝罪=お客様がお怒りになり問い合わせてこられたという事象のみお礼と謝罪をする(絶対、顧客の主張内容には謝罪しない)」
③「提案=お客様に全て吐き出させて、同情を適宜入れ、落ち着いた頃にこちらから解決策や代替案を提案をする」

この3つを正確に粘り強く行えば殆どのクレームを解決できるのだ。(ただし1つでも不足していたり、誠意が欠けたりしてお客様にオペレーターの心理を見透かされた場合は失敗しクレーム要因がオペレーター起因となりお客様の感情は激情し悪化の一途をたどる)

そしてもう1つのクレーム「憂さ晴らし目的」の後者の場合は適当にヘッドセットを少しずらして(真剣には傾聴せず)要所要所で相槌をうちあとは右から左に聞き流すだけ。それでお客様の熱が収まれば終わり、おさまらなければ上司に対応方針を仰ぐだけでよい。まともに対応する必要はない。(理不尽な主張は殆ど「毅然と断る」で終了もしお客様が裁判を起こしてもこちらに非はなく大手企業などには強力な顧問弁護士団がいるためお客様は敗訴するのだ。「憂さ晴らしの為、金かけて訴訟を起こして敗訴」どうぞどうぞご勝手に裁判を起こしてくださいというスタンスでいい。(ただ応対を相談する上司がオペレーターに理解ある人でなければ、対応の際にオペレーター側で身の綻びが必ず発生して、対応はスムーズにいかなくなる)

上記3点のクレームのコツが私はお客様対応で自然と身に付き、それが買われてクレーム対応の多いアウトバウンドの部署のチームリーダーまで昇進できたのだ。そしてそこでも働きを買われ各チームを管理するSV(スーパーバイザー)になれたのだ発達障害では信じられない昇進だ。TLは自チームのオペレーターを管理したりエスカレーションを受けたりするポジション。
SVは現場の裏方にまわり各チームをまとめるマネジメントとなる為、マネジメント力や数字(チーム内の実績やリーダーの管理)が必要となってきて、エクセルなどVLOOKUPやマクロやの能力も必要になってくる。私はVLOOKUPやマクロはできなかったが人へのマネジメント(フォローや勤怠呼びかけ、やる気にさせる施策)などは得意で、例により事務処理や数字の管理が苦手だったが、管理者の面白みも経験できて貴重な体験だった。

ただそんな順風満帆の職場でも1度だけチームリーダーの時に重大なインシデントを起こしてしまう
それは今でいう個人情報漏洩の類だが、よくニュースなどで大問題となる大規模な外部への漏洩や悪質な漏洩とは少し状況が異なる。状況を簡単に説明すると以下のとおりだ。

①お客様の「会員証未着の為、接続できない」のクレーム対応が始まる

②お客様の要望「仕事の関係で今すぐ接続できないと困る為、ID,PWを開示して接続させろ」を聞き取る(未着はお客様起因ではない為)→クライアントにエスカレーション(相談)する。

③(クライアントより今回に限り)ID、PWを紙で記してFAX送信せよという指示がでる
。(その時はまだ書面のやり取りは郵送かFAXをメインで使っていた時代だった。)
※ただし条件として1枚目にIDを記しFAX送信してお客様がそれを確認した後、2枚目にPWを記しFAX送信し別々で送るという条件(誤送信防止の為)

④ ③を了承して頂けたらFAXでID、PWを分けて送信する

応対のながれで①②まで問題なく進んだが③をお客様へ説明した所、お客様は激高される「ID、PWを一緒にFAXで送れ今すぐしろ、そうじゃないと引き下がらない」というのだ。当然、誤送信防止の為である旨を何度も顧客へ説くも一向に首を縦に振らない。
再度クライアントへのエスカレーションを改めて行うと回答がでるまで時間を要する為、お客様は拒否。困った私は現場にいるSVへ判断を仰いだがそのSVへのエスカレーションの際に私がSVを丸め込んでしまったのだ。それは「お客様は急いでいらっしゃる。クライアントへの再確認も不承。今すぐ答えを出せ。その為、1度に1枚の紙でID,PW両方を記載しFAXで送らないと納得されない。」それを力説しSVに承認させたのだ

エスカレーションしたSVはその事案を殆ど把握しおらず、私の勢いに飲まれたようだ。(申し訳ない...)かたち上SVの了承をもらいその後、お客様へFAX送信。(送信時はダブルチェックあり)無事FAXが届き、お客様はID、PWの確認後接続可能になり事なきを得て胸を撫でおろしたのもつかの間、その「FAXで一度にID、PWを送信した事実」がクライアントに知れてしまい、指示を無視して業務を遂行し、会社に多大な損害を冒してしまうリスクを背負った為に最終的に私は会社に「始末書」を提出せざるを得なくなってしまったのだ。

マネージャーに呼ばれ事情聴取を受け許可したSVの責任話にもなった為、私は許可を得たSVを庇い「すべて私の一存でSVを丸め込み、このような顛末となってしまった事。 全て私の責任でありSVに責任はない為、SVは不問にされるべきであること」を懇願し全責任を被ったのだ。

一連の事象では発達障害の特有の症状が見え隠れする。それは自閉スペクトラム症(ASD)の障害で①②はできたが③④を「自分の判断」ですっ飛ばしてしまい失敗した事自閉スペクトラム症(ASD)は指示が抜け落ち、思い込みで物事を下すことがある。そして両障害(自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD))特有の「想像力欠如」による背後の重大リスクを見抜けなかった事である。

このインシデント(指示通り対応せず起こったインシデント)は典型的なヒューマンエラーだが裏には重大なリスクが伴う。もし1度のFAXで誤って第三者にID、PWをまとめて送ってしまいそれが万が一悪用された場合、当然企業側の責任となり企業への損害賠償責任にもなりかねない。追い込まれた状況でお客様目線で良かれと思ってやった事だったが、実は会社の存続自体を危うくするという背後の重大リスクまで「想像力を巡らせ」配慮できなかったのは今振り返るとこのインシデントは「発達障害」が起因していたもので間違いないだろう。しかも上司に相談しているにも関わらずその上司を丸め込むという荒業までやってしまったのだから。

しかしインシデントを起こしたのにその後チームリーダーからSVになぜか昇格ができた。なぜ昇格できたかは今振り返っても謎だ・・・そして現代でもニュースで情報漏洩事件(故意、故意でない問わず)が出るたびにつくづく「重大事件とならずに本当によかった」と胸を撫でおろすとともに「改めて襟を正さなければ」という思いである。

その後、時は流れ最終的にはこのコールセンターも地方へ移転となり、私も地方赴任を経験しながらこの会社が請け負う様々な場所のコールセンターを経験して勤続10年が経ち無事退職に至る。
(その間にも多少人間関係でのトラブルはあるがこれ以上は長くなってしまうので割愛する)

総括:最終的に辞職した要因は「10年勤めキリがよかった」為であり発達障害が原因の辞職ではない。但しインシデントは発達障害が起因している。
いま思うとなぜ発達障害であるにも関わらず10年も長期間勤め上げる事ができたのか?
それは

「まだ若かったから(脳機能の問題)」
「目的を共有し、ともに協力し合える仲間がいた」
「サークルみたいで楽しかった」
「困った時に相談できる上司や窓口があった」

そして何より「職場が楽しかった」

に尽きる。ただし全てのコールセンターがそうではない。この後、経験する他のコールセンターでは辛酸をなめることになる。たまたまここで勤めたコールセンターが上記条件をそろえていただけである。

そして一般的に発達障害の人は「コールセンター」は不向きとされるが私自身は注意欠如・多動症(ADHD)要素が強いため比較的ここのコールセンターにおいては向いていたんだと思う。ただ自閉スペクトラム症(ASD)も併発しているため注意欠如・多動症(ADHD)だけでなく自閉スペクトラム症(ASD)起因のトラブルはなども起こりやすい(仕事によっては逆も然り)
私のように併発している場合は困難の度合いが極めて高まり、向いている職業や職場も限りなく限定されるはずだ。なんとも厄介である。

 

⑥実家業の着物販売のECサイト運営(勤続3~4年程)
【職業適応度(私の障害に合っていたか)】・・・★★★★★

着物イメージ




発達障害としては初めての偉業(10年も勤続)を成し遂げた私は汚点はあったが相対的な満足感と達成感に満ち溢れていた。

そんな折、思わぬ吉報が舞い降りるのである。それは「実家業を手伝わないか?」と父兄から誘いを受けたのだ。父と兄は県内の観光地で着物販売の店舗をしていたのだ。そこで最近、浸透し出したネットショッピング=Eコマースを店舗でもやろうと考えているということだ。そのECサイト運営に次男の私もやってみないか?と打診された。私は二つ返事で引き受けた。

実家業の着物は新品ではなく仕立て上がり着物の中古品(洋服でいうと古着)を扱うが限りなく状態のよい着物(車に例えるなら新古車)のみを扱う上質な着物だった。ほぼ女性着物のみの取り扱いでターゲット層は50代~60代のミドル層。私は着物など一切分からず、基本的な事から学び出した。着物の素材「正絹(しょうけん)、化繊(かせん)」、種類「訪問着、付け下げ、色無地、小紋、紬・・・など」、サイズ表「身丈、裄、袖丈、袖幅、前幅・・・」、帯の種類「袋帯、名古屋帯、半幅帯、角帯・・・」、帯揚げ「礼装用、ちりめん、綸子、絞り・・・」、帯締め「平組 、 丸組・・・」、あとは襦袢(着物の下に着る肌着)や草履、バッグ・・・

兎に角覚える事がいっぱい。それにTPOに合わせた着物の選び方や、帯そのほか小物のコーディネート(スーツでいうとワイシャツやネクタイ、ピンや靴、カバンなどのコーディネート、これが一番重要)を頭に叩き込んでいくのだ。

さらに厄介なのが着物や帯の柄「吉祥文様、有職文様、正倉院文様、王朝文様・・・」、文様「絣、鮫、行儀、市松(市松模様は鬼滅の刃の主人公、竈門炭治郎が着ている緑と黒の四角の羽織の模様。ちなみに市松の意味は「その柄が途切れることなく続いて行く ことから、繁栄の意味が込められている」)・・・」などが無数とあり代表的なものは頭に入れておかないといけない。まず覚えようと思っても全て難しいしECサイト運営だけやっていても覚えられないので、まずは店頭で親父や兄の接客を見ながら少しづつ覚えていった

それと並行して兄と二人三脚で店舗用のECサイトを独自ドメインサイトで立ち上げ、ヤフーショッピングなども並行して立ち上げた。店舗が忙しいときは店頭販売を手伝い、暇なときはECサイト運営をするというスタンスを取りながら、店舗2階(店舗と言っても古い民家を改装したもの)の1室に撮影機材を購入し大型ホワイトシートで簡易撮影室を作りそこで商品写真を撮るのだ。

1つの着物でカメラの露出を3段階に変えたものを10~11枚のショット=計30枚程とり、そこから手ブレのショットを省き1ショット1枚に絞り込みPCで画像処理をしていく。根気のいる作業だ。だが画像処理はやりだすとのめり込み時間はあっという間が過ぎていた。実は兄は高校卒業後カメラマンを目指しニューヨークに修行に行った経験がありカメラの事は詳しかった。そして画像処理については私もCGの専門学校でかじっていたので大体のやり方は把握していた。そんな状況でかなりクウォリティの高い商品写真が出来ていた。

そして一番苦労したのが、マネキンに着物を着せて着用イメージを取るショットと、平面に着物を置き、帯や帯締め、草履などを置いて撮るコーディネート写真。このマネキンショットとコーディネート写真がないとECサイト自体や商品が「映えない」のだ。いまでいう「インスタ映え」のようなものだろうか。もともと自閉スペクトラム症(ASD)持ちの兄と自閉スペクトラム症(ASD)+注意欠如・多動症(ADHD)持ちの私、発達障害を持つ兄弟が協力するので「こだわらないわけがない」

半端ないこだわりが商品写真にいかんなく反映され、商品画像の質やイメージ画像のクウォリティが他の着物ECサイトを凌駕していた。そんなで「商品への自信」と「サイトへの自信」からネットで売り出しを開始すれば「簡単に売れるだろう」とたかをくくっていたのだ

・・・しかし現実はそんなに甘くなかった。

出品しても「全く売れないのだ・・・」アクセス解析をすると「流入(他サイトから入ってくる人や検索する人)はそこそこ多いのに「なぜか売れない」。何でだろうと頭を抱えだしてしまった私。「クウォリティが低いのだろうか?商品が悪いのだろうか?」・・・

後になって分かった事だが「仕立て上がり着物は商材自体が特殊で、ネット販売するには不向きな商材であった」為だ。

それが分かるまでかなりの歳月と苦労を強いられるのだが・・・洋服もそうだがネットショップで商品を見ていきなり買うのはユニクロのように「当たり前のように大量に存在し」、「サイズ感も明確」で、「過去に着用したもの」であればネットでは売れるが、着物=ましてや仕立て上がりの中古着物は一点物でその真逆の商品であったのだ。

身丈、裄、前幅、袖幅が着物によって全く違う。その為、消費者は「この商品のサイズは私の体形に合うのだろうか?」「この絶妙な色は私の顔に合うのだろうか?」と皆思ってしまう。それはそうだ自分が買う立場にたったら、サイズ感も色合いや柄も似合うかも分からず「いいなーよし!買っちゃえ~♪」ポチッと数万円~十数万円する洋服をネットで買わないだろう(笑)

買うのはよほどのおバカさんさんか着物を普段から着こなしサイズもイメージも把握している一部の玄人くらいだ。私たちはネットで「おバカさん」か「一握りの玄人」相手に商売しようとしていたのだ・・・恐ろしい。いくら返品できるとしても普通の人は二の足を踏むだろう。なんと浅はかな考えであったか・・・そのことは同時に家族も分かったようだ。(まあ、実際には仕立て上がり着物よりも既製品と同じ長さや大きさの帯の方がネットではよく売れたのはその為であろう)

このころにはECサイト運営も思うようにいかない事もあり、私も「焦り」を感じ始め自暴自棄となっていた。

店内では注意欠如・多動症(ADHD)(おそらく)の父と自閉スペクトラム症(ASD)の兄と注意欠如・多動症(ADHD)+自閉スペクトラム症(ASD)の私の3者の怒鳴り合いのケンカが絶えなくなっていた。
親父は注意欠如・多動症(ADHD)特有の「カッなりやすいタイプ」、兄は自閉スペクトラム症(ASD)特有の「超こだわりがあり」、私はその両方を兼ね備えていた為、3人がケンカする際には酷い時はまるでヤ〇ザの事務所にいるようなものだった

怒鳴り声が店の外まで漏れて通りすがりの観光客も隣のお店の店主のお姉ちゃんも驚いている(笑)。 (また家族商売は家族であるという心情が影響して感情的になりやすい) このままではいけないと思いつつも発達障害 当事者同士はどうしたらよいか分からないのだ。

そこで落ち着きを取り戻した頃に私たちは「ある方向転換」をした。「ネットで売る」のではなく「ネットでお客様を惹きつけて店に来てもらい購入につなげてもらう」というECサイト自体を来店目的型広告型にするという事だ。

そうすると功を奏してか少しづつ店に「ネットショップを見たのですが・・・とても商品が素敵で実際見に行きたいのですが・・・」という電話が鳴り始めるようになる。そして狙った通りネットを見て店舗に来店するお客様も増えていった。また平行して少しづつではあるがネットでも遠方(関西や関東メイン。北海道、東北、九州地方、沖縄はなぜか殆ど注文がない)から注文が入り始めたのだ

私たちの商売は間違っておらず、ただ商売の「やり方」が間違っていただけだったのだ

おかげで家族間でのケンカも少しづつ減っていきECサイトの効果が出だし店舗売上も上がっていったのだ。
しかしそんな状況も何年もは続かなかったのである。それはある理由で・・・

その理由とは「不景気の煽り」である。

店舗は私が入るころには既に出店から10年以上が過ぎていた、呉服業界がそもそも「衰退業界」なのだ。着物はとうの昔に日常着ではなく着る人も限られる。いまでは趣向性があり「お茶などを嗜む一部の人以外は趣味で着るもの」なのだ。着物市場は市場全体を合わせてもユニクロ1社の売り上げにかなわない業界なのだ
要は少ないパイを皆で奪い合う争奪戦である。如何にうちのように付加価値(良いものをできるだけ安く)をつけて売ろうとも、そのパイ自体がなく限界なのだ。携帯で例えるならスマホ時代に一生懸命ガラケーを売るようなものだ。そういった背景から京都や全国各地で高い技術を持つ着物や帯、草履をはじめとした和装職人はどんどん少なくなり日本の伝統産業である「着物」自体が途絶えはじめている。

1000年以上続いてきた日本の重要文化財を継承できる人がこの国には殆どいない。大量生産,大量消費の弊害が自分の仕事にも影響を及ぼすことになるとは。着物は何度も洗い、着直し、作り直せる。原料は蚕の繭からなのでCO2エネルギーを一切出さず、環境にも優しい。そして職人の技が必要なので技術や人材の継承にもなる、さらに絹なので肌にも優しく愛着も湧く。

環境破壊も温暖化も同様、人間は自らの星を汚し、自らの価値を下げ、自らの欲望のままに生き、この星を今まさに再生不可能なまで破壊しようとしている。なんと愚かな生き物だろう。嘆かわしいことだ・・・

そんな状況の中、家業の店舗も例外ではなくその煽りをもろに受けているのである。着物産業の衰退は生産者だけではなく販売者もとうぜん煽りを受けるのだ。いまはまだ何とかやっていけているが、このままでは家業もジリ貧となっていく事は明白であった。そんな状況の中、家族会議が開かれ今後どうするかが議論された。真っ先に私は「辞める」事を申し出た

理由は「ECサイトで既に私1人分の給料分の売り上げも出せていない」事と「勤め生活は前までやっていた為いつでも復帰できる」事だ。このままでは実家業の店が潰れかねない...以上の理由から私は酸いも甘いも経験した3~4年間の家業を辞めることを決意するのだった。

総括:退職の理由は景気の煽りの為、発達障害が起因とした退職ではない。
しかし文中にもあるように家族で仕事をするということは他人と仕事をする「会社」と違い、「甘え」や「(家族に対しての)期待」が邪魔をして「感情的になりやすい」のだ。ましてや発達障害者同士の仕事場など困難を極めることは明白だ。やはり「困った時の相談できる所」と「周りがフォローし合える環境」は必須であると感じた。

ただ注意欠如・多動症(ADHD)の特徴の一つ「適度に接客が出来て」、自閉スペクトラム症(ASD)特有の一つ、撮影や画像処理に「没頭でき」、「誰にも干渉や指示を受けずにマイペースでできる環境」のECサイト運用は今までの中でも「天職」に近い仕事ではないかと感じた。そして業界の事や歴史の事、そして呉服業界の置かれた悲しい現実、技術の継承の問題、環境破壊テーマなどあらゆる事が勉強であり良い経験だった。

それにしても私が退職したコロナ禍の現在も(何とか)店舗を続けていける家業。やはりそれだけテーマ性があり商品センスも光る店舗ブランドが確立できている証であろう。
改めていままで自営の商売を繰り返して息子たちを養ってきた「そんな才能のある注意欠如・多動症(ADHD)親父」に尊敬の念を抱く私であった。

 

⑦コールセンターでオペレーター業務(CATV)(勤続3か月程)
【職業適応度(私の障害に合っていたか)】・・・★★

コールセンターイメージ2



とうとう実家業の仕事も辞めざるを得なくなった私だったが、もう次の転職に頭を切り替えて求職活動をしており職種も決めていた。やはり「コールセンターしかない」。以前、長期間続けられたコールセンターはテクニカルサポート。自分には事務系のコールセンターではなくテクニカルサポート系のコールセンターが性に合っているんだ

自宅から通える範囲で探したところ。家からバスで15~20分ぐらいで行けるコールセンターを見つけた。業種もCATV系の会社で以前のISP業種と似通っていたためちょうどよかった。早速、派遣会社に応募しコーディネーターと面接を経た上で仕事がきまった。
後から分かった事だが、コールセンターのこの職場は典型的なブラック事業所で「常時求人募集を出している職場」だったのだ。まず求人で気を付ける点は

「常時募集している職場」や「時給が不自然に高い求人」
「仕事の詳細の内容が書いていない求人」
「入社後、金額負担をさせる会社(求人票では分からないが)」
「働きやすい。皆でワイワイ。などあたかも職場環境が良いイメージを与える求人」
「20代30代が活躍。女性が活躍。など入社前から年齢や性別を明記差別している求人」

そういった企業の求人は詐欺求人や入社後も何らかの理由で働きづらい環境である可能性が高く注意しなければならないのだ。もう何度も転職していく上で何となく「怪しい求人」が分かるようになってくるのだ。その時は私はまだそれが分からなかった為「自身の経験職種と勤務地」という条件だけで決めたのだ。
結果論からいうと「常時求人募集を出している職場」はそれだけ「辞める人が多い職場」なのだ。求人を出しているという事は簡単に言ってしまえば「入っても辞めてしまう環境」または「人が集まらない環境」なのだ。

そんな職場で新人研修が始まった。同期のオペレーターは全部で6~7人程、年齢は30代前後の男女だ。座学研修が1か月程あり、その後現場に出ながらOJTを1~2週間ほど実施して現場に配属される。
ISPと同様CATV業界もサービスが多く研修ボリュームが多いのだ。そんな新人研修の初日にそれぞれの自己紹介が始まったがそこで発達障害特有の症状が出る

例のごとく注意欠如・多動症(ADHD)の特徴の一つでしゃべり好きの私は自分の自己紹介をジョークを織り交ぜ、過去の体験などを交えながら面白可笑しく紹介していた。気持ちよくなって調子にのった私は何を思ったか「政治の話」を交えながら面白可笑しく自己紹介をしたのだ。同期には面白くてウケたようで笑いと終わった後で拍手が鳴った。
「絶頂」を迎えた私は満足感でいっぱいだったが、管理者の講師に思わぬ指摘を受けたのだ。「〇〇さんの自己紹介とても面白くてよかったですね。ただ1点よろしくないのは、政治の話ですね。職場には政治の話をしないように注意しましょうね」と言われたのだ。

ここで定型発達の人なら「そうだよな」と反省するのだが、発達障害の私は「なぜ政治の話がいけないのか?」「自身を知ってもらうために補足で足した情報じゃないか」「第一なぜ日本人はみな政治の話題を避けたがる?」と思ってしまうのだ。海外では学生だって学校で生徒同士政治の話を当たり前のようにする。

日本はなぜ自分たちの国の事(行政)に無関心なのか?第一、「政治の話をしてはいけない」は権力者側が「自分たちの思うように国民を操る」為の政策の一環で昔からそのような偽情報を流布し国民の意識に植え付けたものではないのか?そんな今でいうフェイクになぜ国民は騙されるのか?私から見るとそんな「国民」がおとなしくて愚かだと思うのだ。

その時にはそんな事を考えていたのだが今考えれば「時と場所」が悪かったのは否めない。第一初対面の人にいきなり政治観を言われても困惑してしまうだろう。(私は毎朝新聞をよみ政治に興味があるのでザッツオーライだが)ましてや新人研修の自己紹介という「場」もふさわしくなかったのであろう。仲良くなって休憩時間に友達に政治の愚痴をこぼすのとは確かに訳が違う。まあ「そんな所」が発達障害の私の特徴なのである。話がまた逸れてしまった。そんなで順調に研修も進み座学も終わり、OJTが始まる。

そのOJTでも私はまた「キレる」事になるのだが...

まずその話の前に、ここのコールセンターが2つの理由で私に合わなかった事を説明しよう。

まず1点目が「サポート内容」。
技術的な「テクニカルサポート」ではなく、サービスや手続きなどを案内する「カスタマーサポート」であった事。テクニカルサポートは業界が違ってもトラブルの原因や仕組みなどをある程度、技術的な事を理解しておけば流用できたりするのだ。
また前職のテクニカルサポートは事務処理や手続きなどと違い「正解」が1つではない。あらゆる方法が試せたり場合によっては「原因が不明だったが改善した、改善しないので〇〇で対処する」などトークスキル」で切り逃げることもできるのだ。しかし事務系のカスタマーサポートは殆どが「正解(手続き方法など)」が1つに決まっており、回答の迅速さや正確性が問われれる為、心の余裕がなくなりストレスが私にとっては溜まりやすいのだ。

そして2点目が「他の部署への連携や手配」が必要であった事だ。
お客様の応対にのみ集中したいのにカスタマーサポートでは頻繁に社内の別部署との情報共有や連携、場合によっては訪問手配などしなけければならない。その手続きは私にとっては非常に煩雑であり、まして他部署起因のクレームががこちらの窓口に迷い込んでくる事など日常茶飯事なのだ
他人や他部署が原因のクレームは第三者が対応してもろくなことにならないのだ。そんな理由からここでの電話対応に一抹の不安を抱きながらOJTを始めた。

OJTでは実際のお客様応対をインカムをつけながら対応するのだが、隣にはイヤホンをつけた研修担当がフルモニタリング(実際のオペレーターの応対を聞いていて不明点は適宜指示をする)をするのだ。私の横には女性の研修担当がフリルモニタリングして対応していたが、例のごとくクレーム気味のお客様から入電があった
要点はサービスや手続きの不備を突いてきて不満を言われるお客様であったが、申告内容から新人の私でも「お客様の指摘はごもっとも」こちら=企業側に不備がある事は明白な案件だった。ただ私は淡々と心情に寄り添いながら対応して嵐が収まるのを待っていたが、なかなかお客様も引き下がらない。

本来こういう場合は隣で聞いている「研修担当」が私にお客様を納得させる指示をするか、私に代わってお客様対応をして見本を見せる必要があるが、その女性研修担当はあろうことかモニタリングしながらお客様の熱に飲まれ「焦っている」のである
私は呆れた・・・ (おいおい。それくらいで狼狽しないでくれよ。こっちはお客様でなく「研修担当の貴方」に呆れているんだよ)そう私は思いながら、適宜お客様をいさめながら「指示待ち」をするもいっこうに状況が好転しない。

そのうち女性研修担当の指示だし内容もマニュアル一辺倒で「できないものはできないのよ!」と語尾を強め私にいうのである。(おいおいそれ言っちゃダメだろ。だいたい怒るのは私じゃなくできない会社に対してだろ)私も段々イラついてきた。そうこう押し問答しているとお客様も業を煮やし「おい!できないじゃねーだろ!やるのがお前らの仕事だろ!できないならできない正当な理由を言って俺を納得させろよ。もしくは分る奴に代われよ!」(ごもっとも)とさらに熱が上がる。(これは研修生の私ではどうにもならないな、対応交代しないとおさまらないだろうな)と感じていた。

これを聞いていた女性研修担当は「もう!なんでなの!できないって言ったでしょ!」と感情をあらわになぜか私に怒り始めた。(おいおいふざけんなよ!あんたの指示だしがダメダメだからだろ!なんで俺が怒られるんだよっ!)。
これで私はブチ切れた。お客様応対を保留にして女性研修担当にむかい「ここまで対応してあなたの指示で(顧客が)納得しないし、上席への対応交代を求められているんだから代わってください!それがあんたの仕事だろ!新人をいじめるのもいい加減にしろ!」とキレたのだ。

その後、対応は研修担当に交代して終了したが(結局、解決せず預かりになったようだ)、私は一連の出来事で、この職場の強烈な不満を更なる上司の男性管理者に報告し、早速マンツーマンでの面談してもらうこととなった。

事情を全て話した私に対し上司の男性管理者は「状況はよくわかりました。きのやんさん、OJTでまだ不安な時期にクレーム対応ありがとう。隣に研修担当がいながらそのような結果となって申し訳ない。対応で困っているのに明確な指示ができず申し訳なかった。以後OJTでは気を付けるように本人(女性研修担当)に言っておきます」と言われたのだ。(ちなみにこの男性管理者は自己紹介の時、私の政治的発言を指摘した根の優しい管理者だ)

発達障害はやはり「吐き出させる場」と「相談できる場」が必要なのだ。溜まった感情を吐き出した私は事もあろうかその男性管理者と2人だけの席で泣き出していたのである。

悩みを聴いてくれた感情と(過去の経験でクレーム対応には慣れていたにも関わらず、対応を終了できなかった)悔しさの残った感情が混ざり合ってあふれ出たのだ。いい大人が泣くなんて恥ずかしい話だが発達障害が明らかとなった今では納得できる。

発達障害をお持ちの方なら少なからずいらっしゃると思うが、嫌な事やストレスが溜まっていって吐き出す場がない場合、自身の感情が激しく動き、時に怒り出したり、泣き出したりしたりする事があるらしい。発達障害者にとって職場ではそれは一番避けなければならないことだ。風船が破裂するまえに少しずつ空気を抜いていかないと破裂してしまうのと同じだ。だから「悩みを相談できる場所」が必須なのだ。

そんな事もあり私はOJTは最後までやり遂げたが、実際の業務開始の着台前に「この職場は続かない」と思い辞める事を決意する。結局、当初の読み通り、求人情報が常に出ている求人はこういった理由で入社しても直ぐに辞める人が多いのである。

総括:発達障害と業務内容の不適性の両方が原因で退職。また研修担当に恵まれなかった事も要因。

また同じコールセンターでも得意のテクニカルサポートだけでなく、苦手分野のカスタマーサポート業務による心理的負担が退職の直接の要因。

冒頭に記したようにこのコールセンターの「常時募集している求人」の真の理由は「大量に入社しても大量に辞めていく事業所だから」が大きな理由であろう。あとは退職者の退職理由の大半はコールセンターでは避けて通れないクレームが嫌だからが要因だろうか...
そして求人票からは読み解けない業務内容の詳細と職場環境。職場環境ばかりは入社してみないと分からない、その「分からないもの」が発達障害では「一番重要な要素」だったりするのだが・・・だから発達障害は職場の雰囲気に合わず退職する人が多いんだと思う。

それにしてもあの時はなぜ突然、泣き出したのか分からなかったが、発達障害が診断された今となっては全て腑に落ちるのである。脳のどこかの障害の一部が影響して突然泣き出す「少年のような気持ち」にさせるのだろうか・・・

 

⑧葬儀会社の葬祭業務(勤続3か月程)
【職業適応度(私の障害に合っていたか)】・・・★

葬儀社イメージ



例の如く注意欠如・多動症(ADHD)のキレる症状を起因とし、職場自体も非適職といった理由で退職をせざるを得なくなった自分はこの頃から「なぜ自分は仕事長く続かないのだろうか」「なぜ毎回人間関係にトラブルをきたすのだろうか?」「なぜ毎回人間関係に恵まれないのだろうか?」「なぜ自分は感情がコントロールできずキレやすいのか?」という事を漠然と感じていた

同じ就職氷河期世代の人もこのように苦労しているのだろうか?

自分たちだけの世代が割を食っていて、今の若い連中はなんの苦労もなく就職できる、簡単に次の仕事も見つかる、なのになぜ私たち世代は正社員はおろか非正規すら継続するのが難しいのか。なぜ国は私たち就職氷河期世代をお荷物扱いして切り捨てるのだろうか・・・そんな考えが常時頭をぐらせ、強い憤りすら覚えるのだった。(いずれ私たちの就職氷河期世代や団塊ジュニア世代を切り捨てた弊害で生活保護含め社会保障費が増大していくだろう)

こうなってくるともう人生に希望を見出す事は難しく、求職も困難だし、仕事が万が一決まっても「次も上手くいかないだろう」という諦めが出てきてしまうのだ。(まさに今の日本社会は諦めの塊である。「頑張った人は報われる」は既に死語となり、頑張っても頑張らなくても報われない社会が構築され一部の権力者や企業上層部、富裕層のみ至福を肥やす国となってしまった。誰でもない国民自身がそのような国にしてきたのだから)

そんなネガティブな思考を抱えつつも仕事を探さない事には生活が厳しい。うちには子供もおらず、家のローンはあるといっても嫁は現在、大手製造企業の正社員である為(幸いな事に今は)、比較的生活は安定しており私が無職になっても直ぐに生活に困る事はなかったが、私たちの様に子供がいない夫婦でも今のご時世共働きしなければやはりそれなりの生活を送る事は難しいのだ。

そんな思いを抱えながらも例により求人サイトを検索していた所ある求人が目にとまった。「葬儀会社の葬祭業務」である。

業務内容は葬儀全般の葬祭業務(納棺から葬儀、出棺までの作業や病院へ故人の引き取り、役所への手続き)などである。いままでの仕事と畑が全く異なるが、これからは介護業界同様、需要は伸びる業界でありかつ未経験職からでもできると書いてあった為、注意欠如・多動症(ADHD)特有の興味により応募してみたのだった。

その後、面接も受かり、勤務がはじまるのだが実際の勤務の前に「ある嫌なこと」を経験するのであった。その嫌な事とは店長のハラスメント行為である。業務配属まえからいきなり?と思われる方もいるかもしれないが、それは新人=私の歓迎会の飲み会の場の居酒屋で行われたのだ。

まず配属先の事業所は男性社員が4~5名で女性はパートの30代位女性と経理の50代位の女性2人しかいない。この業界はいわゆる男性優勢の「古い体質の業界」なのだ組織は正に縦社会で体育会のように上下関係がハッキリしている。その為、飲み会の場では事業所の長である「店長」が絶対君主であり、それ以外の部下はいわば奴隷なのである。

奴隷は絶対君主に媚びへつらい、我さきにと店長のご機嫌取りの為、ニコニコしながら面白くもないジョークを連発し「店長」にお酌をする。その「空気感」はまさに発達障害には一番苦手なのだ。君主は奴隷をあざけ笑う姿が私には刑務所に感じられた。

これはマズイ会社に入ってしまったようだ」と私は直感した。

そんなおり店長から私に掛け声があった「おい!きのやんさん。こっちに来て俺の隣に座れよ!」というのだ。「何様だよおまえは?」と私は感じたが新人で私の歓迎会であった為、ここでブチ切れてもしょうがないのでいやいや指示に従うのだった。
隣に座り近くで見ると、なるほど会社のパンフレットのモデルも兼ねていた為、いい中年男ではあったが「そのニヤニヤした顔が気持ち悪く酒臭い」そんな「キモい」店長の横で面白くもない持論を永遠聞かされ続けるのだ。「お前も。頑張って俺についてこいよ!そしたら可愛がってやるかな!」とゆがんだ正義感を振りかざし、周りは同調し店長にお膳立てするのだ。

この店長、そして周りの奴らも人間的に終わってるな」そう感じた私だったが、仕方なく歓迎会を過ごすのであった。(ここで見切りをつけて辞めておけばよかった。。。)

実際の勤務が始まってからも上記の組織の力関係は相変わらずで事務所内の職場でも「ただ酒が入っていない」だけで構図は同じであった。辟易していた私だがこれも社会勉強の一つと割り切りながら先輩に付いて仕事を覚えていこうと思っていた。そこで新人の私に優しく接してくれた50~60代位の男性社員に心を許しながら業務することになるのだが...

まず葬儀業界の第一関門。亡者に恐れず対面できるか?だったが事務所に運ばれ葬儀前に保管される棺桶のなかの亡者には特段私はアレルギーはなかった。そしてまずは見習いのような立場なので日々のメインは事業所の清掃から備品整理などにあたるが、棺桶の亡者と2人きりの部屋でも違和感なく清掃はできたのでそこはよかった。

そんなで毎日早めに着て事業所清掃と備品整理などをやりながら少しづつ業務の幅を広げていった。特に難しいと感じたのは、葬儀の際の「進行」である。葬儀には神主が行う神葬祭とお坊さんが行う仏式葬儀などがある。
その葬儀を取り仕切るのが葬祭ディレクターだ。葬祭ディレクターは遺族との打ち合わせを経たあと、神主やお坊さんなどのやり取りも行い、実際葬儀当日には神主やお坊さんへの対応と遺族の対応がメインとなる。来店した遺族に駐車場の案内をし、受付での名簿記入、持ち物預かり、フロアや待合室も案内、そして葬儀が始まるとマイク司会進行が重要となる。それを店舗の全員が協力して行うのだ。

神主やお坊さんの読経が終わり遺族がお焼香を上げる際の順番のナビゲートやその際の言葉遣い、しぐさ、そして祭壇への配慮など全てスムーズに失礼なく、滞りなく実施しなければならないのである。実際、空きのホールで模擬練習をさせてもらったがこれが非常に難しい。
言葉に気を取られるとジェスチャーがおろそかになり、動きに集中すると言葉が出てこない。出てきても不自然で硬いロボットのようになってしまう。ベテラン社員に言わせるとこれは葬祭ディレクターの一番の腕の見せ所だという。なるほどこれは経験を積む以外に上達は難しいだろう。

そんな奥深い業務内容を先輩に教えてもらいながら充実した日々を過ごしていたが、やはり職場内の人間関係や環境は相変わらず自分に合わずに折り合いをつけるのに苦労をしていた。そんなある日、店長から今月と来月は「病院引き取りの月だから気合をいれるように」と皆に指示があった。
「病院引き取り」とは病院で亡くなった故人を引き取りに行く業務だ。実際の引き取り内容は上記で示した葬儀場での進行役に比べれば難易度は低く特段難しい事はなかったが実際ストレスを感じたのがその「待機」の仕方だ

要はこの該当月には病院からいつ電話連絡が来てもいいように社員全員が事務所で連日24時間待機をしておかないとならない。その為、数日~1週間程度は帰宅できないのだ。
そして驚いたのが夜中でも呼び出しの可能性がある為、狭い事務所の中、デスクや床などで寝なければならない。
事務所の超絶狭い床に簡易布団をひいて寝る者もいれば、エレベーター前で寝る者もいる。そう雑魚寝である。新人の私は幸いそういった扱いは避けられ遺族控室に布団を敷いて寝る事を許可されたが、いつ呼び出しがあるのではないかという緊張から一睡もできない日が続いた。

さらに追い打ちをかけたのが真夏のポスティングである。葬祭業は夏場は比較的閑散期の為、正直やることがあまりない。その為、空き時間の長くなる夏は特に全社員が社長命令で会社のチラシを毎日各戸へポスティングをせよという命令だ(ちなみにポスティングは1年中やらされる)。

炎天下40℃近くの真夏、毎日歩きながら各家庭にポスティングをおこなうのだが道路の表面温度は優に50℃近くだ。灼熱のなか、ポスティングを強いられるのだが先輩は高層マンションばかりを担当して楽をするのだ。そしてチラシがなくなって事業所へ戻ってくると別の地域の地図を渡され再度ポスティングに行かないとならない。

これを1日繰り返すのだ。
毎日、熱中症におかされて帰宅すると体は震えているのである

そんな悪夢のような真夏を過ごすことになったのだ。そんな時、私は店長にポスティングにより熱中症で倒れる危険性、また広告の効率の悪さ、費用対効果など疑問符が付くため、見直しを含め店長から社長に掛け合ってもらえないかや、もしやるならもっと効率のよいメールやネットを使ったマーケティング広告などを提案するのだが、会社自体古い体質で縦社会の為、店長が社長を翻意することなど到底できず尚且つそんなITを使った効率的なマーケティングとは真逆の会社の為、当然、店長は首を縦に振らないのである。

そんな灼熱で熱中症の恐れのある、悪夢の日が続き精神的にも体力的にも限界に来ていたのだ。
これを続けたら「体がもたない。早かれ遅かれ死ぬだろう・・・」そう身体的危機を感じた注意欠如・多動症(ADHD)は例の如く店長に辞意を表明するのだが・・・

事務所待機中の夜中に社長に「精神的にも真夏の熱中症疑いで肉体的にも限界でありこのまま業務を続けるのが困難な為、辞めさせてもらいたい事。葬儀業界の事をなんら理解しておらず安直な気持ちで志望した自身の考えを後悔している事。」そういった事を店長に伝えるも店長は「イエス」を出さないのであるまともに取り合ってくれないのだ「大丈夫できるはずだ」などという精神論を振りかざし、日を改めたり時間を変えてみたりして訴えても取り合ってくれない。

ここで更に嫌な思いをしたのが辞意を店長に申し出てから、冒頭に申し上げた「優しい50~60代の先輩上司」や経理の女性、そして周りの全社員の私への態度が手のひら返しをしたように豹変し、それ以降、目の上のたんこぶ扱いをされるとともに、心無い言葉を毎回投げつけられるようになったのだ。ようは社内イジメである。小さい職場はこれがあるから嫌なのだ。

全員が私の敵となったのだ。

そんな苦しい状況だが以前のように店長に辞表を投げつけるわけにもいかない為、私はある行動に出たのだ。

それは精神的な支障をきたした為、診療内科に行き診断書を書いてもらうことにした。
実際これが功を奏して無事退職にいたるのだが、その過程が面倒だった。私にまともに取り合わない店長宛てに診断書を郵送で送る。診断書には医師より「過度のうつ病で精神に支障をきたしているため、業務継続は困難である」旨記載してもらい(といっても医師がそのように判断した)、自身の作った辞表と一緒に郵送するのだ。ただそれだけでは一方的な辞め方でマズイので、嫌ではあるが店長に電話をして詳細を説明した。

医師の診断結果の為、これ以上拒否して働き続けて訴えられでもしたら会社としてマズイと判断したのだろうかハラスメント店長は私の退職を渋々了承するのであった

私は入社当初から本当にこの店長や社員たちが嫌いだったので、いざというときの為、日々私へのハラスメント行為を日記につけておき万が一何かあった時に対応できるようにもしていた
いっそ退職後、労働基準局にでもそのハラスメント日記を差し出ようかと考えたほどだ。(ちなみに以前にも同様に退職時に退職後労働基準局にこの会社の苦情を申し出た輩がいたようだが、今現在、社内体質は改善していないということは焼け石に水だったか、この会社が全く変わっていないかのどちらかだろう)

またこの時の診療内科の診断の際にうつ病の背後の発達障害がちゃんと診断されていれば、その後の私の人生も少しは変わっていたかもしれない・・・

総括:今回の退職の直接要因は発達障害ではなく、ハラスメントにより精神的肉体的に追い込まれての退職。今思えば2次障害と思う。

しかし今思い返すと、店長へのポスティングへの拒否感や提案の下りが注意欠如・多動症(ADHD)特有の症状だったと思われる。
まあ発達障害が端を発しハラスメントを受けての退職という表現が適切であろう。ただいずれにしても入社前の歓迎会の店長によるハラスメント然り、この業界この事業所では発達障害が苦手とする上下関係や古い体質、精神論、理解や配慮のかけた対応をされることが多く非常に息苦しさを感じた。
やはり自分自身は組織の中で仕事をするにも「多様性や配慮、共感、理解、フォロー」そういった職場でないと続けるのが難しいと再確認したのである。
ブチ切れず何とか穏便に退職できた事は良かったが・・・

それにしてもいつ呼び出しがあるか分からない状況でデザイン会社の時の様に社内の劣悪な環境のなか寝泊りしなければならない事と、灼熱の真夏の命がけのポスティングは定型発達者であっても苦痛であろうと思われる。
この会社だけが特殊だったのかこの業界自体が特殊だったのかは定かではないが、葬儀業界は勤務するうえで余程の覚悟を持った方以外、お勧めできる業界ではない事はお伝えしておきたい。

 

⑨コールセンターでオペレーター業務(免許系)(勤続6か月程)
【職業適応度(私の障害に合っていたか)】・・・★

コールセンターイメージ3



そんなパワハラ体質の葬儀社をたった3か月で退職した私だが年齢も40を超えておりなかなか再就職が厳しくなっていた。

もう35歳を超えると「選べる仕事も限られるし」「自分に合いそうな仕事を応募」しても書類選考通過して面接まで行くのは稀なのである。その為、限られるのは当然経験職種だがこれも応募しても「既に10回近く転職している40の男を採用する会社など皆無に近い」状況で八方ふさがりなのである。要はミドル層で特段とりえもなく転職が多い奴は「死ね」と社会は言っているのである。

いまの嫁に食べさせてもらっていなかったら私は確実に生活保護か浮浪者になっていたであろう・・・情けなさ過ぎて涙がでてくる。

そんなゆがんだ社会の不条理に憤りを常に抱いているが、嘆いてばかりでもいられない。やはり生活の質を少しでも上げるには共働きをするしかないのだから。そして求人で応募し採用される可能性が高い職種と言えばコールセンターぐらいしかないのだ

例によって求人サイトをまた眺めているのだが近隣で上記条件にあった仕事は少なく、過去に応募した仕事などで門戸が限られていた。そんななかコールセンターで非正規社員として応募しているコールセンターがあたので応募してみた。その会社は免許系のコールセンターを運営している中小企業で採用面接を経てコールセンター管理者を前提とした採用が決まったのだった。

実際の業務は自動車免許取得を希望している学生などからの問い合わせがメインで教習所や合宿免許の紹介などをしている業務だ。コールセンターと言っても雑居ビルの1室を借りそのフロアにオペレーターや営業部、役員などの席がある小規模なセンターだった。従業員のオペレーターは主に主婦や女子学生が殆どで常時10~20人のオペレーターが業務をまわしている状況だ。

コールセンターの管理者は1人しかおらず実質センター長とマネージャーを兼務していた。歳は私と同じくらいだろうか・・・威厳はなく低姿勢ではあるが、まごまごした口調ではっきりしない頼りない人であった。新人の私は当然オペレーター業務から研修を受けるのだが、過去経験したような大規模なセンターではなく研修システムもしっかりしていない小規模事業所であった為、入社後も半ば放置状態で空き時間にマネージャーがちょこっと業務を教えてくれる程度であった。

業務内容は事務的でオペレーターごとに役割分担がなされていた。簡単にいうと入電したあと「問診係が対応して希望状況を伺う係」、「希望から適切な教習所や合宿などのプランを紹介する係(既に希望があった場合はその事業所やプランを申し込みする)」、「まったく分からずサービス紹介から入所まですべてを受け持つベテラン係」など分業化していた。

オペレーター比率99%の女性の中に混じり40代のおっさんがハンドル(お客様対応)するのだが、例により注意欠如・多動症(ADHD)要素が強く分業化された事務的な仕事は苦手であった。そのため入電から希望を伺い次の窓口にバトンタッチするのだが、その事務処理が煩雑でなかなか「スピード間」をもって「正確に処理」が苦手なのだ。そんな「仕事になかなか馴染めない状況で例によりまたあるトラブルを起こすのである。(トラブルというより被害に巻き込まれるといったほうがいいだろう)

大規模センターの場合、営業部門とお客様対応のコールセンター部門は独立しているものだが、ここは小規模コールセンターの為コール業務を行っているすぐ隣に営業部署がいるのだ。そして当然、中小企業で営業と言えばパワハラ体質の所が多くこの事業所も例外ではなかった営業部署の部長がいつもふんぞり返ってデスクに座っており、部下をいつも大声で叱責している
その大声で話す部長の横でコールオペレーターの女性達は何事もないように皆平然と対応するのだ。

そういった状況が私には苦痛なのだ他人が指摘されていたり怒られているだけでも苦痛を感じやすい発達障害はとにかく「職場内環境に敏感なのだ」

そして叱責を受けた営業男性社員、年齢では30代後半くらいであろうか、そいつが溜まったストレスをあろうことか隣の私たちがいるコールセンター部署にぶつけてくるのだ。ただぶつけるといっても部長と同様にすると明らかなハラスメントになる為、感情的にではなく「ネチネチ」「ウジウジ」執拗に言ってくるのだ。ベテランオペレーター女性たちは上手くあしらい対応している。
だだ事もあろう事か新人の私にもネチネチ、ウジウジ言ってくるのであるしかも頭ごなしに一方的に。それに「イラッ」とした私は配属したばかりでまだ業務が把握しきれていない事を説明するもそのネチネチ営業は我関せずの様子である。「自分はさも営業で仕事ができて上司の信頼もあり、コールセンターのオペレーターは営業の俺の指示に従っていればいいんだよ」という態度である。

話し方が気持ち悪く虫唾が走る。そんな中、マネージャーと入社面接をした女性社員(採用部署などない為、事務職)の2人にネチネチ営業社員からハラスメントを受けた経緯を説明し、そいつからのパワハラにストレスを感じている為、行為を辞めてもらうように上申するのだが、その相談がその後思わぬ事態となり私を追い込むのである...

朝礼後にオペレーターは業務に入るのだが、毎週の週はじめは幹部達(営業、マネーージャー、役員)が定例ミーティングを別室で行うのである。その定例ミーティングでは副社長(社長の次男。社長は出社した所を見たことがない)も同席でミーティングするのだ。副社長と言っても表現は悪いが銀座飲み屋にハンドバックを下げていくようなチンピラような感じのタイプである。

上記の私のパワハラ相談の話自体が、おそらくその幹部ミーティングの場で議題にあがったであろう。定例ミーティングが終わり、戻ってきたチンピラ副社長の顔を何気なく見ると差別的な目線が私に注がれるのである。目ではまさに「あるはずもないハラスメント行為を上申する奴はお前だな・・・」というような視線である。自分はこの時直観した。また例の如く組織全体で私をを潰す気なのか?と。その直感は当たった。それ以降、私は前回と同様、社内の人間に「腫れ物」に触るように扱いされ始めた

マネージャーも当初は「唯一コールセンター管理者候補の私と2人で頑張っていこう」というような姿勢で私に接してくれていたが、「それ(私がハラスメント被害を訴えてから)」以降は態度が変わり「厄介者」をあつかうような接し方に豹変した。この会社も前回の葬儀者と同様、上司は「絶対」であり。会社のトップは君主であり、下は奴隷の縦組織なのだ。

それから少し経ったある日、マネージャーに呼ばれ私は「業務の覚えが悪い」からと一方的に担当を外されたのだこれも明らかな「ハラスメント」である。

もうこんな腐った会社にいる気はさらさらなくなり、どうせ辞めるなら言いたい事を言ってやめようと決意した。そのマネージャーに「どうせ社長や営業の指示でそうしたのであろう。
あなたは正常な判断ができるであろうから私の困り事(ハラスメントを受けた事)を理解し、それをした営業も問題だと理解しているはず。それにも関わらず誤った対応をした営業に意見もせず、全員が一緒になって私を退職に追い込もうとしているのは明白だ。そんなことをして自分の心が痛まないのか?管理者が事の善悪も判断できないとは。あなたには失望した。上司とはいえ間違った事を間違っているとも言えずなんの為のマネージャーなのか?一生営業や幹部に命令されコキへつらいながらあんたは仕事をしていくのか?」
など今までの不満を洗いざらい全部ぶちまけた。マネージャーは平常心を装っていたが、態度から内心明らかな動揺は感じ取れた。私は心底こんな卑怯な奴と仕事をすることに嫌気がさした。

それから間もなく派遣担当者(派遣担当と言ってもこの会社は派遣元と派遣先(勤務先)が同一の会社であり事務担当が派遣担当を兼務している)に呼び出され、「次回の契約更新はできない事、またアルバイトでも業務ができない」ようは「一方的な雇止め」を告げられた

派遣会社と勤務先が同一で、経営上層部からの圧力がかかれば派遣担当も意を唱えることができず派遣社員を切り捨てる、なんという腐った会社だ。業務未習熟(明らかな言いがかり)だけでは明白な理由とならず、本来明確な理由がなければ雇止めなどできない不当解雇のはずだが非正規なので立場が弱すぎる。

私はこの腐りきった連中から一日でも早く離れたかったので、不本意ながら承諾せざるを得なくなり契約更新満了となったのだ

結局、私は前職と同様、全員を敵にまわしての退職となったのだ・・・

総括:退職の真の原因はパワハラか発達障害か正直、直接の要因は分からないこうも毎回同じパターン(ハラスメントを受けて潰される退職)だと会社側(ハラスメントをした使用者)の問題なのか、自身(ハラスメントと受け取ってしまう被害妄想がつよい発達障害の私)の問題なのか正直わからなくなってくるのだ。

いずれにしてもハラスメントは本来「受け手の心理的状況」で決まるわけで、少しでも「おかしい」「苦痛」「やめてほしい」と感じるのであればそれを上司や窓口に「相談する事」自体は至極まっとうな事のはずだ。

かたや今までの退職理由と今回の退職理由も事象が似通っている為、この頃から「自分の中の「何か」が問題なのかもしれない」と思うようになるのである(転職の度、会社に恵まれない事は共通している)

定型発達の人ならもっと違った上手いやり方でやり過ごしたりできると思うのだが、発達障害の私には「一言言わずにはいられない」「我慢して耐え続ける」ことが一番のストレスなわけで、それが出来ないのが一番つらいのである。ましてや相談した窓口(マネージャーや派遣担当)もその行為に加担するとはなんともやるせない。

 

 ⑩コールセンターでオペレーター業務(ISP)(勤続1年8か月程)
【職業適応度(私の障害に合っていたか)】・・・★★★

コールセンターイメージ4



上記の通り40歳を過ぎて未経験業務に応募し、散々な思いを経験したり、会社を敵にまわし雇止めを受けるなどして苦しくも砕け散った私であった。

こんなにも適合する業種にも限られ、人間関係も必ずと言っていいほど拗れ、最終的に自滅していく羽目になる私は「社会不適合者ではないか」と感じるようになっていた。

社会にでたばかりの当初は「就職氷河期でたまたま会社に恵まれなかっただけだ」と感じていたが、こうまで転職を繰り返すとなると、もはや問題は「自分自身の中にあるのではないか」と感じるようになっていった。
そんな状態で退職しては失業となり、また新たな転職活動をするのだが当然、前向きになれないのである(今思えばこの段階で仕事をすることは苦痛でしかなくなっていた)。やはり私にできる仕事はどんなにストレスを溜めようが、コールセンター業務しかないのだろうか・・・そう考え日々転職サイトを眺める私であった。そんなときちょどタイミングよく都内で過去経験職のISPのテクニカルサポートの仕事を見つけ応募したのであった。)

契約社員として採用が決まりドアツードアで1時間15分位の勤務先が決まった。
例の如くコールセンター業務では業務前の研修が約1~2か月間ほど始まるのである。研修生は私含め5、6名ほどISP経験者はいなく異業種からの同期ばかりであったが、今回は研修講師が「優しく、頭ごなしに叱らず、とても丁寧に教えてくれる」人であった為、終始研修が和やかにスムーズに進んだ。私は経験職の為、お客様対応の基本的な部分は理解しており覚えるのは主にサービス内容であった。

同期の男性は1人のみで私より年上の男の人であった。この方も非常に苦労されてきた方で話を伺うもどうも自分は仕事が覚えられず、過去倉庫の仕分け業務などやってきたが、上司に叱られることが多く雇止めに多くあってきたとの事。この時私は「私と同じよう、いやそれ以上に会社や業務に馴染めず苦労されてきた方もいるんだ」と少し心が和らいだが同時に苦労しているミドル世代が日本にはたくさんいるんだろうなと思ってしまい心がまた落ち込むのであった。

そんな状況で研修も進み同期の男性もコールセンターが初めてのなか、電話対応業務になれない様子ではあったが何とか研修にもついてきてOJTを経て晴れて全員現場配属になったのである。

現場は予想していた業務内容であったがここは私が最初に経験した1000人規模の大所帯コールセンターではなかった。以前示したようにリスク分散化の為、地方センターとの分散化と業務内容によって窓口が分かれていた為、私たちが担う部署は全部で20~30人程のオペレーターと計4名の男性SV(LSV(リードSV)1名含む)の中小規模の部署であった。

結局この仕事は計1年8か月程ほど続いたが、最後はストレスの極みで退職する事となる。
ストレスの要因は先に同じく、ある上司の異常なパワハラである。

配属部署の4人のSVの内、1人の男性SV(Wとしておく)は最初は第一印象はとても頭脳明瞭そうにみえ、エスカレーションの際もオペレーターに対し敬語を話し高圧的であるようなイメージではない、とても感じのよい「男性」であった。そのほかのSV3人も当然個性は違う為、皆同じようにとはいかないまでも全体的に接しやすくエスカレーションしやすい上司たちであったが先に述べた男性SV(W)とある事がきっかけでハラスメントを受けるようになるのである。

そのある事とは、あるお客様応対で自分が案内した内容に自信が持てなかった為、確認の為にエスカレーションに行った時の事であった。内容としては「問い合わせの本題は解決しており、最後に顧客から頂いた補足質問に対して私の勘違いから誤った回答をした恐れがあった為、Wに確認に行った」というシチュエーションだ。結果的に私のミスアナウンスであった場合は①自分の認識の修正と②顧客への訂正架電 をしようと考えていた。

その時のやり取りはこんな感じだった...
——————————————
男性SV:(対応後の私の質問に対して)「きのやんさん。そもそもあなたの認識は違います。なんでそんな思い込みの対応をしたのですか?どうしてすぐSVに確認しなかったのですか?

私:「申し訳ありません。本題の問い合わせは既に解決済で、お客様より最後に補足で質問を受けた内容について自分の認識の範囲で回答してしまいました。その為、対応中は特段SVにエスカレーションする必要はないと思い対応を終了しましたが、対応後に不安になったためお伺いにきました。もし自身の認識が誤っていた場合には、お客様に速やかに再架電しお詫びと訂正をさせていただくつもりです。すいませんでした。」

男性SV(W):「なんで自己判断するですか?もしそのお客様があなたの説明とおり誤案内した別のタイプの商品を購入(ネット接続の際の分配機のような物で量販店で安いものだと2~3千円で売ってるもの)し、間違っていた事が判明し、お客様がお怒りになり、私たちに損害賠償を求めてきたらどうするんですか?きのやんさん責任とれますか?私はそんな指示してないから責任とれませんよ!第一、あなたは訂正の架電して済むからいいという気持ちでしょ。なんなんですかそんな安易な考え。

私:「申し訳ありませんでした。以後気を付けます。まずお客様に訂正架電をして・・・」

男性SV(W)「勝手に自己判断しないでください!第一あなたが思い込みで案内したんですから!どうしてそんな案内をしたのですか!?なぜSVに確認しにこなかったのですか?ありえないですよね!架電はあたりまえですがそこを認識しないと次回も同じような事が起きますよ!どうしてこうなったのですか!わたしに分かりやすいように説明してください!(このやりとりが永遠とつづく・・・)」
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Wの第一印象とは別の人格が現れてきた・・・頭脳明瞭のハキハキ上司から、執拗でネチネチくどい粘着上司タイプへ豹変したのだ、しかも私の顔を下からのぞき込むような視線で言ってくるのである。

今回は些細な案内ミスとはいえ上司の指摘内容はもっともなところではあった為、そこは自分でも反省し、最終的にはお客様に訂正架電しお詫びをし事なきを得るが、その訂正の架電をした後にも他のオペレーターが周りにいる状況にも関わらず、あまりにもしつこく長時間、執拗に私に対して弁解を求めてくるWに対し、私はある種の苛立ちを感じていた
その為、途中で双方売り言葉に買い言葉となって、2人とも感情的になってしまい2人の関係は更にわるくなるのだった・・・

それ以降、私はなるべくその男性SV(W)にはエスカレーションに行かないように気を付けるも、1日2人か3人のSVしか出社しない為、残りのSV2人がエスカレーション対応で埋まっている時や、その男性SV(W)と同じ島(配席が同じ所)の場合などはどうしてもその男性SV(W)にエスカレーションに行かざるを得ない状況になるのである。

以降はその男性SV(W)は私に対して冷遇しかしなくなり、ことあるごとに私の上げ足をとり執拗に心理的に攻めてくるのであった。

こうなってくると発達障害者であろうがなかろうが、Wが出勤する日は私は出社するのが嫌になるのである

困った私はSVの上席のチーフに「助けを求めた」のであったが、結局チーフは何をするのでもなく話は聞いてくれるが、その後もWの私に接する必要な態度は変わらなかったのである。その間にも状況打開の為、社内のハラスメント窓口や社内の弁護士相談窓口に私は相談するも結局、担当者とWへの軽い面談は実施されたようだが、それ以降もWの私に対しての態度はさほど変わらなかったのである。

もう他に助けを求められる窓口はなくなりそれ以降、約1年半、自分を押し殺しなんとか我慢をして業務を続けるも、最後に「ある事」がきっかけで心と身体が悲鳴をあげるのであった。

その「ある事」とは例の如くWへ、顧客のクレーム対応をWに上席対応依頼した時の事だ。

そのお客様は別部署の対応不備と私の対応の仕方に難癖をつけてこられ、上司への対応交代を求めてきた時だ。(私は過去経験からクレーム対応が比較的得意だったとはいえ、一次対応の際のクレームや上席対応依頼は誰がやってもどうしても避けられないものなのである)

例の様に他のSVはエスカレーションで埋まっていた為、私の近くの島に座っていたWへ上司交代をせざるを得なくなり、エスカレーションにいったのだが、顧客は激高しているため今すぐ上司に代われという。
代わってほしい旨をWにお願いするも、Wは拒否して「顧客に上司交代はできないと案内しろ」というのだ。

いままでコールセンター対応を10年以上続けてきたが、顧客からの上席交代を拒否した上司は一人もいなかった。私は驚いた。仕方なく指示どおり顧客に上席対応できない旨を案内するも当然顧客は上席交代を拒否されたのだからさらに激高するのであった。そんな状況で私は再三、Wに頼み込み何とか、顧客への折り返し対応をしてくれるようになったのだが、驚いたのがその折り返し上席対応が終わった後、「お前からも顧客にまた連絡しろ」と対応が私に差し戻ってきたのである。

通常、上司がサービス不満や部下の謝罪対応をする際は(すべての責任を上司が背負って)対応しクレームをおさめる必要があるのだが、驚くことに部下の対応不満については再度部下から電話させるというのだ・・・おそらく顧客の要望であろうが、通常は上司が責任を持ち対応を収めるのが通常だ。なんの為の上司なのか。私をさらに困らせてやろうとでも思ったのだろうか

その後、私は指示通り顧客に架電し、私の対応の至らぬ点を深謝し対応は事なきを得るのだが、その件以降、私はWに対して更なる過剰な心理的ストレスがかかるようになるのである
その時とちょうど平行して私は身体のある部分で手術(頸椎ヘルニアのようなもの)を受けていたため、手術の際のストレスやその後の体力低下で心身が消耗していた時期でもあった。

そんなタイミングでそれから程なくして「朝の満員電車で倒れる」ようになったのである。
しかも2回も。(ある書籍によると自閉スペクトラム症(ASD)の二次被害でてんかんがあるらしい・・・)

よく通勤電車内で「お客様で急病人がいたため電車を一時停止いたしました」というアナウンスを聞いた事がないだろうか。それである。まさか私がそうなるとは思わなかった。朝の満員電車でいつも通りドアの脇に立っていたが、Wの事を思い出すと突然強い吐き気のような気持ち悪さに襲われ、我慢していると急に意識を失い、満員電車内の床に倒れたのだ

周りの乗客は皆驚いた様子で心配してくれている。倒れた時間はものの数秒~10秒位で立ち上がったらしく、その際に乗客に聞くと「倒れてから暫くし、すぐ立ち上がりましたよ」というのだ。
最初は脳梗塞か何かでも起きたのかと思って念のため、駅から救急車で病院に運んでもらい脳のCTやMRIも受けるも脳には異常なしの診断だった。(素朴な疑問だがMRIで発達障害は診断できないのだろうか?)同時に頸椎手術した病院にも聞いてみたが、そういった急病人は術後はいなかったとの事だ。
原因が分からぬままであったが、2回目も同様の状況で起きた為脳(脳神経科)ではなく心臓(循環器系)の病院で診断したところ原因が分かった。

診断結果は「神経調節性失神」別名、「迷走神経反射」というものだ

簡単にいうと、よく学校の朝礼とかで校長先生が長話している時にグラウンドで急に倒れる子供がいるように、起立している時に多く長時間立ちっぱなしの状態で脳への血流が悪くなり脳が酸素不足になると倒れる仕組みで、一般的によくいう「失神」の類のものであった
その為、脳梗塞や心筋梗塞などの怖い病気でなく一時的な症状で良かったが、医者曰く「強いストレスにさらされた場合でも起こりやすい」との診断であった為、今回の一連の事象がやはり心身に多大なストレスとなっていたようである。

そういった経緯もあり長期間の間、精神的苦痛に我慢をし続けた結果、私の心と身体が悲鳴を上げたようだ。

途中、チーフとも相談し、他の部署への異動なども検討材料になったが、最終的には術後の身体的負担とWのパワハラに耐えられないという結論を自ら出しやむなく辞めるのであった。

ちょうどこの頃からコロナが世界中を賑わせ始めるのであった・・・

総括:退職の原因は明らかにパワハラによるストレス。退職時は二次障害からくるうつ病状態となっていた。

皆さんの職場にも1人はいらっしゃるのではないだろうか? この人「人間的に問題があるのではないか?」と思う人が。
男性SV(W)もまさにその典型タイプである。

読者の皆さんは私の主観のみでの話なので、私とWだけの相性の問題ではないか?と思う人がいらっしゃると思うが、実は私の周りのオペレーターにも何人か聞いてみたがそのうちの1人がWが嫌いという回答で、もう1人はWが大嫌いと答えたオペレーター(お局のような存在の女性)がいた。そのオペレーターはなんとそのWとみんなの前で「大ゲンカ」をした事があるという。それ以降その女性はWと、一切口を聞いていないのだという(既にその女性はその一軒があり別の部署に異動済)

確かにWとの険悪な仲、トリガーとなったのは売り言葉に買い言葉ではある為、100%発達障害の原因ではないとは言い切れないが、他のオペレーターもそのWが大嫌いという人や、その女性オペレーターも同様の状況になったということは、客観的に考えてもオペレーター側の問題ではなく、Wに問題があるといわざるを得ない。
ましてやオペレーターの相談や悩み事を答える上司であるSVが、事もあろうにオペレーターと大喧嘩するとは・・・そして最初の温和な研修担当とのギャップもあり現場に出てからの失望が強かったことも否めない。

つくづく職場や上司に恵まれない自分が悲しくなるのであった。

その後も私は「転職過多の最大の理由は発達障害である」と断定できるまで、相応の時間を要するのである。

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PS:こないだ読んだ新聞記事には「日本企業ではいまだパワハラ行為が横行している」と書いてあった。そして社内の「相談窓口」も企業側の形だけであり、根本解決しようという姿勢がみられないらしい。海外ではハラスメント行為は明白に法で明文化され実施したものは罰せられるが、日本はそもそもハラスメントを定義する法そのもの自体が存在しないのだ。
加害者が守られている日本の法律・・・こういった事も働きづらい大きな理由の1つである。
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(パワハラは抜きとして職業適応度は仕事内容自体は気許容範囲であったので★3つつけている。ただ歳をとるとコールセンターでのクレーム対応も正直きつくなってくるのが正直な所である・・・)

 

 ⑪通信会社でのヘルプデスクのオペレーター(勤続4か月程)
【職業適応度(私の障害に合っていたか)】・・・★★

オペレーターイメージ



前職で満員電車で2回も倒れたトラウマとちょうどコロナの影響もあり電車に乗っての通勤は苦痛になっていた私である。ましてや悪質なパワハラを経験すると精神的に落ち込み物事の多くを悲観的に見やすくなっており今思えば発達障害による二次障害のうつ病となっていたのである

こうなるとストレスを溜めてまで電車通勤はできなくなり、次の仕事はリモートか家から通える近場の職場の仕事を探すようになっていた。もう10回以上も転職を繰り返している為、自分の中では転職はあたりまえのイベントとなっており、次の仕事も「いつもの何かが原因」で続かないだろうと自分自身も感じていた。

「どうせ転職しても職場環境や人間関係がトラウマとなりやめるんだからバイトでもいいかな」と考えていた。
例によりいつもの求人サイトを開いていると「ヘルプデスク業務」という求人が気になった。求人内容は大手通信会社のヘルプ業務で派遣社員、コールセンター業務と同じように電話対応の業務だった。
時給も1700円とよかった為、応募し即採用が決まった。事業所は最寄り駅にあり、インフラ的要素をはらんでいた通信業界の為、24時間対応している部署だった。私は輪番(夜勤)するのが嫌だったので日勤希望で業務を希望して採用が決まった。

同期は30代位の女性ひとりで、新人研修は私含め2名で研修が始まった。ここのヘルプデスクは過去のコールセンター業務と違い、新人研修は研修室を借り切ってある程度の人数まとめて1~2か月座学研修から詰め込み式で行うのではなく、現場で空きスペースを使いながら、現場SVが私たち新人の2人の間に着座し業務研修をしてくれるスタイルであった

同期の女性はヘルプデスク業務は経験があったようだが、通信業界のヘルプデスクは初めての様子であった。研修担当の男性SVは年齢30代位で第一印象は「とても優しくて尚且つ親切で丁寧に教えてくれる」いままでの仕事人生の中で、一番上司や同じ部署にいてほしいと思う理想的な人であった。

業務内容は学校や各自治体などからのICTの問い合わせ対応(タブレッドや設置されたルータやその他の通信機器のサポートがメイン業務)でその名の通りヘルプデスク。ただ過去のコールセンター業務と違って業務が細分化されており、コールセンターの様に社内のナレッジに従いその場での解決をするというのではなく、顧客の要望を聞き一旦預かって後日、架電対応するというスタンスだった。また業務ナレッジは整備されておらず、その場で解決できる問い合わせは限られていた。
簡単に言うと問い合わせ窓口の一次受けであり「御用聞」のようなものだ。

そしてここが更に厄介なことに問い合わせを預かっても、回答までどのくらい時間がかかるのか?回答がでたら誰が対応するのか?(他のベンダーも別の場所で同業務している為)どのような対応方針になるのか?も私たち一次受けでは分からないのである。さらに業務細分化に伴い対応可能なSV(業務内容を把握しているSV)もそれぞれの業務によって理解が分かれている為、新人としてはどのSVに質問してよいかが分かりにくいのである。

問い合わせ入電は1時間に数件程度で現場では日中2~3人のオペレーターが着台しており、お問合せを捌いている印象だ。そんな中、1人お局のような中心的存在の中年女性のオペレーターがいて、見た目も話方もパワフル。その方はどうやらここでの経験も長くやスキルもある為、全て一人で業務をこなしてしまうそんな存在の人がいた。SV含め周りもこの女性オペレーターには頭が上がらないようで、オペレーターなのに何故か現場で一番権力を持っているような方だった。

しかしその後、例の如くこのお局と私は「やり合う」事になり、最終的に退職にせざるを得なくなる私であった・・・

1~2か月の研修を終え現場でOJT業務を始めた私たちであったが、既に新人が更に2名増員され計4名となっていた。
そんななか新人が入電対応しながら、不明点は業務情報ナレッジ(いちを形式的には存在する)を参照しながらわかる範囲で回答し、それでも分からなければ保留にして一旦SVにエスカレーションをする形式だ。例により各業務問い合わせの内容や対応方針が異なり、指示を出せるSVも限られている為、新人としてはその「運用」自体を最初に把握するのに苦労をしていた。

そして厄介なことに上記の「お局女性」は全ての業務に精通しており、研修担当の男性SVに丁寧に教えてもらいたくても教えられる業務が限られるため、どうしてもその「お局女性」に不明点を聞かなけれなならない。そのお局女性はいちオペレーターでありSVという管理者ではないため、管理者としての資質(教え方や新人への指導、フォロー)という部分においては欠けていた。対お客様への説明はできても、「部下に分かりやすくに教える」そういったスキルが不足していたのだ・・・

OJT対応で不明点をエスカレーションするもいつも説明が分かりづらく、発達障害に苦手な「そうすればいい、ああすれば、そんな感じで、こうやってあとはだいたいわかるでしょ?やってみて分からなかったら聞いて」など抽象的かつ具体性に欠ける説明ばかりでとても発達障害を持った新人の私には理解できるものではなかった。同期にも聞いてみたが表立って当人の前で「説明が分かりづらい」とは言えないようであったが、傍からみてても私と同様苦労をしているようであった

そんな状況が続き、私は職場で徐々にストレスをためながらも我慢してOJTを受けていた私だったが、やはりお局に対してのアレルギーは日に日に増すばかりであった。そんな折、SVをまとめるチーフ的立場の上司と定期面談の機会があった為、その際にその旨つたえ、お局についてはなんとか対処してもらうようにはなったが、職場の中心的存在のお局には周りの上司も強く言えないようで、かつ全ての業務に精通していた為、残念ながらその後も状況はあまり好転しなかった。

そんな状況の中、お局から新人に対して業務の補足研修があった時の事、私は発達障害特有のあるい悪い癖がでてしまい、お局との関係を拗らすことになる。その癖とは「相手の気分を害する言動」である。

詳細はこうだ。補足の座学研修の際に「お局が作成した業務のナレッジが新人からすると分かりづらい」という趣旨を私はお局に対して述べたのである。当然「自分が作成したものが分かりづらい」と他人から指摘されると誰でも気分を害すると思う。ましては入ったばかりの新人から言われたのだから・・・その時の心情は如何ばかりである。その後、お局が反撃にでたのである

翌日、お局とマネージャーに個別に呼ばれた私は、「研修の際に私に発言を控えるよう」に言われたのである

当然お局は私に対して「強い不満」を抱いている様子だった。そして先方の意思としては「新人なんだから業務内容に文句や意見を言わず、だまって研修を受けなさいという趣旨らしい。まあ当然と言っては当然だが、これも自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)特有の症状なのだ。「ナレッジが分かりづらい」という当然の事をいってなんで私は怒られるのだろうか?と私は腹が立ち、同期の新人もみな困惑していると勝手に人の気持ちを憶測で代弁してしまうのだ。いつものように事業所(この仕事)で働く意欲が急激に失せてしまい、売り言葉に対して買い言葉(お局に対しての不満や他のSVの業務対応可能範囲が限られるなどの不満)を思いの丈を、お局本人とマネージャーに伝え、最後はいつも通りのケンカ別れのような感じでの退職となったのである。

しかもそのお局は何と私が登録した、派遣会社と同じ、派遣社員であった・・・
その一軒があり派遣担当者に事の一連のお詫びを伝えるも、自社の同じ派遣社員同士が揉めた派遣社員に、その後仕事を紹介してもらえるはずもなく、私は働くことに対して精神的に限界に来ていた。

総括:発達障害が起因とする退職。この後もまたも暫く再起できないうつ病的二次障害の状態となる。

ほぼ毎回同じパターンの「不用意な発言」や「不満」、そして発達障害では苦労する「煩雑な仕組み」などが要因となり職場の人間関係を拗らせ退職するというパターン。

発達障害と診断された今になれば原因は自閉スペクトラム症(ASD)特有の「相手の気持ちがわからない」注意欠如・多動症(ADHD)特有の「思ったことを口にする」という事がよくわかるのだが当時は全く理由もわからなかった為、「なぜ自分はこうも一言多いのだろうか?」「なぜ私は他人の気持ちを汲めないのだろうか?」「なぜ場違いな発言をしてしまうのか?」そんなことをいつも感じ自己肯定感が著しく下がるのであった。

特にこの「悪い症状=発達障害特有の症状」が顕著化し仕事に支障をきたしたのが30歳を超えたくらいからだった。
発達障害もやはり若いうちは何とか柔軟に立ちまわれるが、歳を重ねていくごとに上手く立ちまわれなくなり、状況も悪化していくのではないかと思うのである。

もともと脳の一部の機能障害が原因だが、老化にともない脳全体の機能も低下してくると更に深刻度が増して社会生活が困難になっていくのであろう。

 



・・・そして、とうとう私は社会生活=仕事を行う事が嫌になり、精魂ともに尽き果てて半年間の間ひきこもりとなるのである。

そんなある日、新聞広告にて「ADHD、発達障害」という言葉がある事を初めて知り、急いでネットにて最寄りで大人の発達障害が診れる病院を探した私は精神病院の門をたたくのであった・・・・

徒然草 大人の発達障害である私が初めて「大人の発達障害」を知るきっかけ へつづく。




以上、私が社会に出て現在まで経験した就業状況と回数である。長文お付き合い頂き有難うございました。

既に私は10回以上も転職を繰り返しており、業種も様々で長期的な目標を立てて共通するスキルや人間関係の構築をしていくことができていないのである。

大人の発達障害の就労では、自身の障害特性と折り合いをつけて自分の適正のある職に就けて大活躍している一部の人と、障害特性がマイナスとなり、適正とは真逆の職場を選んでしまい何度も転職を繰り返し、さらに2次障害を起こして社会復帰が困難を極める大多数の人の2パターンに分かれれるのである。

そして私のように社会の落伍者となり40代になっても定職に就けない多くのニートなど社会問題化するのである。

下記は大人の発達障害の当事者であり診療内科医、医学博士でもある星野仁彦氏の著書の一文である。

発達障害のある人は元々自分を客観的に見つめたり、得意不得意を理解したり、長期的な人生の目標やビジョンを描いたりするのが苦手です。基本的に目先の事しか考えられず、たとえ長期の目標を立てたとしても、それに向かって長期間努力する事ができません。
このため、その人ならではの才能や長所があるにも関わらず、自分の欠点ばかりが目立つようにな職業に就いて、仕事が上手くいかなかったり、職場になじめなかったりして、転職を繰り返したり、ニートになったりするケースが多いのです。

「発達障害に気づかない大人たち」    星野仁彦著   祥伝社

 今思えば自身の障害特性をなんら考えない職業や職場を選んできたとつくづく思う。
社会にでた頃はまだ若かった為、障害があれといえど脳機能も若くいろいろ融通や応用がきいたようだが、30代を超えたあたりからたちまち仕事への困難が目立ち始め、在職期間も短くなっていき職をさらに転々とすることに・・・

大人の発達障害が原因で転職を繰り返した私の経験から、発達障害者が仕事を続けていくための大切なポイントを考察

 

発達障害は子供の頃からの早期発見、早期対処が重要だと言われるが、我々ミドル世代はそんな「発達障害」という言葉すら認知されない時代を生きてきたわけで、そういった私たちが今できることはいかに自分の障害特性を理解し、その特性にあった適職につくかに尽きるのである。

その為の社会的土台(発達障害者支援&就労支援など)がようやく日本で構築されてきたわけで、そのリソースを使わない手はない。我々が社会復帰を果たし自らの特性を活かし生き生きと生きるためのポイントは「障害の診断をおこなうこと」「己の障害や障害傾向を認めること」「環境調整を行う事」が大切である。
そして障害の診断を行い、障害特性を把握し、適職を洗い出し、支援サービスおよび相談できる人を探すことからスタートしていければ良いと思う。

 

 【労働者側】当事者が教える「発達障害の人(又は疑われる人)は仕事が続かない、仕事がうまくいかない」と嘆く前に、適職に就く為の最も大切な3つのステップ

 

< 大人の発達障害である私が初めて「大人の発達障害」を知るきっかけ

大人の発達障害である私が受けた診断に際しての問診 >

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