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実力(販売実績)でリストラされたも同然で打ちひしがれている自分だったが、若さがまだあった為、「まだまだやれるはずだ」と自分で思い込んでいた。また求人を眺めながら注意欠如・多動症(ADHD)特有の様々な考えが浮かび出した「俺は何の為に専門学校にいったのだろう」「専門学校の2年間は何だったのだろうか」と。今一度高校卒業してからの自分を問い直し学校で習った事を仕事に活かしたいとの気持ちで都内にある小規模のデザイン会社の門を叩いたのであった。
結論から先に書くとそこでは社長と喧嘩別れのような形で退職を余儀なくされる。
そのデザイン会社は大手広告代理店の近くにあり主にそこからの業務を受けている会社だった。デザイン内容は多岐にわたるが、その会社の業務は主に携帯電話パンフレットのDTPデザインであったり、たばこのパッケージ商品デザインなど様々なデザインを請け負っていた。社長含め社員は全員で5人ほどの小さな会社で、ここの社長は今までの人生で自分が会った人の中でとりわけ「強烈な人」であった。今思い返すとこの社長も恐らく「発達障害」があったのではないかと思う。
体格は華奢で身なりは失礼な表現だが浮浪者そのもの、顔は痩せこけ髪は金髪のボサボサで肩まで伸ばしっぱなし、服装は地味な色を好んで着ているが時計は超高級腕時計。歩き方は猫背で前かがみ。眼光は鋭く、話は結論から延べないと怒り出す性格だ。性格のタイプ的にはまさに織田信長を現世に蘇らせたような人だった。
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社長の逸話だがクライアントと次回作の商品の打ち合わせをしていたときだが会話の中で「売上〇千万円に対し、経費を〇〇分引いて、利益がいくらで。そこからメーカーに納めるお金〇〇〇万円差し引いて、それから御社(広告代理店)に〇〇%お渡しして、残った金額〇〇〇.〇万円が僕たちのお金で宜しいですね」と一瞬で暗算してみせるのであった。広告代理店の担当者は一瞬固まってしまい慌てて「えっ、あそうですね・・」と返すしかない雰囲気なのだ。
またもう1つは取引先の納品期限がいよいよ迫っている案件でみんな徹夜でデザインを考えている時に「お前たちこれだけ時間があるのにまだデザインも出せないのかっ!仲良しクラブじゃないだよっ!なんでいつも俺がいないとちゃんとしたデザインできないんだよ!」と怒り出したかと思うとものの数分でデザイン画を書き上げ「これでどうだ!?」と皆に聞く。そのデザインは目を見開いてしまうようなデザインセンスで自分が何百年頑張っても、社員が何人束になってデザインを作り上げても出せそうもない消費者心理を考え抜いた完璧なデザインなのである。当然、デザインセンス、論理思考ともに社員で社長に逆らえる人は1人もおらず社員は皆黙ってしまうのである。飛びぬけた思考力と人並はずれたデザイン力そして短気で部下に冷遇する。現世にも信長は存在したと思ってしまう出来事であった。
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入社後はまずオフィスの掃除や雑用、先輩や社長へのお茶くみなどがメインであった。それが終わると男性先輩社員(30代位)の横について仕事を学ぶ事から始まった。正直いうとこの先輩は血液型B型特有の性格で一言でいうと「自分勝手」。僕が苦手とする人物であった。
専門学校ではウィンドウズ端末であったがここではマッキントッシュをつかう為、まずPCの操作感覚からして全く違う為、操作させてもらっても馴染めない。また分からない点があって先輩に質問しても「あ~。それは適当にこうやればできるよ」と曖昧な指示だししかしない。(発達障害は曖昧な指示だしが苦手なのだ)そしてデザイン会社に勤めた経験がある方なら常識だとおもうが、まず時間通りに帰宅できない。夜遅くなる事も多く終電後に仕事が終わる事もザラである。酷いときには夜中までオフィスで皆仕事をして、そしてなんと寝る際は布団がないので大型パッキン(梱包に使うプチプチ)を布団代わりに体に巻いてオフィス内で寝るのである。
そんな状況でオフィスで寝ない時は退社後は終電を過ぎている為、一人暮らしの先輩の家にタクシーで一緒に行き、泊めさせてもらう毎日だった。そして先輩宅では先輩の仕事をみながら少しでも仕事のスキルを吸収できればと思っていたが、なんせ夜中の1時や2時なので眠くてしょうがない。そのうち先輩は仕事をとっとと放り投げ、ひと段落したらゲーム機でいつも「ぷよぷよ」を始めるのである。正直者の僕には理解できないがなぜ仕事を持って帰ってやろうとするのにいつも「ぷよぷよ」を始めるのか・・・「一緒にやろうよ」といわれるがそんなもんできるはずないだろう、俺はあんたにマックやデザインのコツを教えてもらいたいんだ!(笑)。
(今ならわかるが先輩は職場で要所要所でギアを上げ納品作業に間に合わせるという定型発達の人なら可能な離れ業ができていたのだ。発達障害者はそのようなメリハリが難しい)
そんなこんなで先輩ともあまり親しくなれず、社長の社内に対するプレッシャーも強く肉体面でも精神面でも追い詰められていたとき自身に思わぬ災難が襲うのであった。
ある朝、社員が起立をして朝礼をしている時、僕は突然意識を失って倒れたのだ。原因は睡眠不足と過労によるものだった。当然といえば当然だろう。周りに良き理解者もおらず毎日朝から夜中までクタクタになるまで職場に拘束され信長社長のご機嫌を気にしながら毎日ヒヤヒヤしなければならない。倒れない方がおかしい。しかし社長はお構いなし。「ちょっと休んでろ!」の一言。また彼は社員を駒としか見ていませんでした。「なぜできないんだ!」「お前は馬鹿か!」という罵声は日常茶飯事。
そんな、信長社長の下で毎日肉体と精神が極限まですり減らされる生活が続き、僕の中で何かが切れていきました。
生命危機をいち早く察知する注意欠如・多動症(ADHD)は決断は早い。早速社長に辞意を申し出るが、「何を言っているんだね君は、今この忙しい状況でそんなこと言うなよ!」と社長はとりつく島もない。(忙しいいのはいつもじゃねーか)と内心毒付きつつもタイミングを見計らって社長に辞意を表明するも相変わらず取り合ってくれない・・・いよいよ追い詰められた僕はネットで正式な辞表の書き方を調べて社長に渡すことに。
あまり忙しそうではない午前中に社長の所に行き辞意を伝え辞表を渡した。ところが社長は「こんなもの受け取れんっ!!!」と激しい剣幕で辞表をこちらに投げつけ返す。売られたケンカは買うのが注意欠如・多動症(ADHD)。僕も負けじと「心身ともに限界です。もうこんな所ではやっていけません!!!貴方の下でなんか働いたら命がいくつあっても足りません!今日で辞めさせてもらいますっ!もうやってられるかっ!」と辞表を社長の顔めがけて投げつけて、急ぎ会社外へと飛び出したのであった。その社長に辞表を投げつけた時の社員一同の顔は今でも脳裏に焼き付いている。皆あっけにとられている顔である。
社員達の顔を浮かべながら後ろめたさを少し感じつつ、オフィスを出た空は僕の心を映すようにどんよりと曇り始め、雷と豪雨が降り注ぐ土砂降りの中、僕のかき乱された心を洗うのであった。
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PS :のちに携帯に先輩から電話がかかってきて「あんな辞め方したの君だけだよ。大体みんな辞める時はメールかFAXで社長に顔を合わさず辞める人が殆どだったから。もっと上手くやりなよ。まあ僕も君が見せた社長へのあの切り替えしには清々したよ。ハハハハ。あとさぁ・・・」と。むかつくB型先輩の話なんて最後まで聞く必要なし。そのまま電話を強制切電w
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