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詳しい職歴⑧ 葬儀会社時代

葬儀社イメージ

From Adobe stock


例の如く注意欠如・多動症(ADHD)のキレる症状を起因とし、職場自体も非適職といった理由で退職をせざるを得なくなった自分はこの頃から「なぜ自分は仕事長く続かないのだろうか」「なぜ毎回人間関係にトラブルをきたすのだろうか?」「なぜ毎回人間関係に恵まれないのだろうか?」「なぜ自分は感情がコントロールできずキレやすいのか?」という事を漠然と感じていた。

同じ就職氷河期世代の人もこのように苦労しているのだろうか?

自分たちだけの世代が割を食っていて、今の若い連中はなんの苦労もなく就職できる、簡単に次の仕事も見つかる、なのになぜ僕たち世代は正社員はおろか非正規すら継続するのが難しいのか。なぜ国は僕たち就職氷河期世代をお荷物扱いして切り捨てるのだろうか・・・そんな考えが常時頭をぐらせ、強い憤りすら覚えるのだった。(いずれ僕たちの就職氷河期世代や団塊ジュニア世代を切り捨てた弊害で生活保護含め社会保障費が増大していくだろう)

こうなってくるともう人生に希望を見出す事は難しく、求職も困難だし、仕事が万が一決まっても「次も上手くいかないだろう」という諦めが出てきてしまうのだ。(まさに今の日本社会は諦めの塊である。「頑張った人は報われる」は既に死語となり、頑張っても頑張らなくても報われない社会が構築され一部の権力者や企業上層部、富裕層のみ至福を肥やす国となってしまった。誰でもない国民自身がそのような国にしてきたのだから)

そんなネガティブな思考を抱えつつも仕事を探さない事には生活が厳しい。うちには子供もおらず、家のローンはあるといっても嫁は現在、大手製造企業の正社員である為(幸いな事に今は)、比較的生活は安定しており僕が無職になっても直ぐに生活に困る事はなかったが、僕たちの様に子供がいない夫婦でも今のご時世共働きしなければやはりそれなりの生活を送る事は難しいのだ。

そんな思いを抱えながらも例により求人サイトを検索していた所ある求人が目にとまった。「葬儀会社の葬祭業務」である。

業務内容は葬儀全般の葬祭業務(納棺から葬儀、出棺までの作業や病院へ故人の引き取り、役所への手続き)などである。いままでの仕事と畑が全く異なるが、これからは介護業界同様、需要は伸びる業界でありかつ未経験職からでもできると書いてあった為、注意欠如・多動症(ADHD)特有の興味により応募してみたのだった。

その後、面接も受かり、勤務がはじまるのだが実際の勤務の前に「ある嫌なこと」を経験するのであった。その嫌な事とは店長のハラスメント行為である。業務配属まえからいきなり?と思われる方もいるかもしれないが、それは新人=僕の歓迎会の飲み会の場の居酒屋で行われたのだ。

まず配属先の事業所は男性社員が4~5名で女性はパートの30代位女性と経理の50代位の女性2人しかいない。この業界はいわゆる男性優勢の「古い体質の業界」なのだ。組織は正に縦社会で体育会のように上下関係がハッキリしている。その為、飲み会の場では事業所の長である「店長」が絶対君主であり、それ以外の部下はいわば奴隷なのである。

奴隷は絶対君主に媚びへつらい、我さきにと店長のご機嫌取りの為、ニコニコしながら面白くもないジョークを連発し「店長」にお酌をする。その「空気感」はまさに発達障害には一番苦手なのだ。君主は奴隷をあざけ笑う姿が僕には刑務所に感じられた。

「これはマズイ会社に入ってしまったようだ」と僕は直感した。

そんなおり店長から僕に掛け声があった「おい!きのやんさん。こっちに来て俺の隣に座れよ!」というのだ。「何様だよおまえは?」と僕は感じたが新人で僕の歓迎会であった為、ここでブチ切れてもしょうがないのでいやいや指示に従うのだった。
隣に座り近くで見ると、なるほど会社のパンフレットのモデルも兼ねていた為、いい中年男ではあったが「そのニヤニヤした顔が気持ち悪く酒臭い」そんな「キモい」店長の横で面白くもない持論を永遠聞かされ続けるのだ。「お前も。頑張って俺についてこいよ!そしたら可愛がってやるかな!」とゆがんだ正義感を振りかざし、周りは同調し店長にお膳立てするのだ。

「この店長、そして周りの奴らも人間的に終わってるな」そう感じた僕だったが、仕方なく歓迎会を過ごすのであった。(ここで見切りをつけて辞めておけばよかった。。。)

実際の勤務が始まってからも上記の組織の力関係は相変わらずで事務所内の職場でも「ただ酒が入っていない」だけで構図は同じであった。辟易していた僕だがこれも社会勉強の一つと割り切りながら先輩に付いて仕事を覚えていこうと思っていた。そこで新人の僕に優しく接してくれた50~60代位の男性社員に心を許しながら業務することになるのだが...

まず葬儀業界の第一関門。亡者に恐れず対面できるか?だったが事務所に運ばれ葬儀前に保管される棺桶のなかの亡者には特段僕はアレルギーはなかった。そしてまずは見習いのような立場なので日々のメインは事業所の清掃から備品整理などにあたるが、棺桶の亡者と2人きりの部屋でも違和感なく清掃はできたのでそこはよかった。

そんなで毎日早めに着て事業所清掃と備品整理などをやりながら少しづつ業務の幅を広げていった。特に難しいと感じたのは、葬儀の際の「進行」である。葬儀には神主が行う神葬祭とお坊さんが行う仏式葬儀などがある。
その葬儀を取り仕切るのが葬祭ディレクターだ。葬祭ディレクターは遺族との打ち合わせを経たあと、神主やお坊さんなどのやり取りも行い、実際葬儀当日には神主やお坊さんへの対応と遺族の対応がメインとなる。来店した遺族に駐車場の案内をし、受付での名簿記入、持ち物預かり、フロアや待合室も案内、そして葬儀が始まるとマイク司会進行が重要となる。それを店舗の全員が協力して行うのだ。

神主やお坊さんの読経が終わり遺族がお焼香を上げる際の順番のナビゲートやその際の言葉遣い、しぐさ、そして祭壇への配慮など全てスムーズに失礼なく、滞りなく実施しなければならないのである。実際、空きのホールで模擬練習をさせてもらったがこれが非常に難しい。
言葉に気を取られるとジェスチャーがおろそかになり、動きに集中すると言葉が出てこない。出てきても不自然で硬いロボットのようになってしまう。ベテラン社員に言わせるとこれは葬祭ディレクターの一番の腕の見せ所だという。なるほどこれは経験を積む以外に上達は難しいだろう。

そんな奥深い業務内容を先輩に教えてもらいながら充実した日々を過ごしていたが、やはり職場内の人間関係や環境は相変わらず自分に合わずに折り合いをつけるのに苦労をしていた。そんなある日、店長から今月と来月は「病院引き取りの月だから気合をいれるように」と皆に指示があった。
「病院引き取り」とは病院で亡くなった故人を引き取りに行く業務だ。実際の引き取り内容は上記で示した葬儀場での進行役に比べれば難易度は低く特段難しい事はなかったが実際ストレスを感じたのがその「待機」の仕方だ。

要はこの該当月には病院からいつ電話連絡が来てもいいように社員全員が事務所で連日24時間待機をしておかないとならない。その為、数日~1週間程度は帰宅できないのだ。
そして驚いたのが夜中でも呼び出しの可能性がある為、狭い事務所の中、デスクや床などで寝なければならない。
事務所の超絶狭い床に簡易布団をひいて寝る者もいれば、エレベーター前で寝る者もいる。そう雑魚寝である。新人の僕は幸いそういった扱いは避けられ遺族控室に布団を敷いて寝る事を許可されたが、いつ呼び出しがあるのではないかという緊張から一睡もできない日が続いた。

さらに追い打ちをかけたのが真夏のポスティングである。葬祭業は夏場は比較的閑散期の為、正直やることがあまりない。その為、空き時間の長くなる夏は特に全社員が社長命令で会社のチラシを毎日各戸へポスティングをせよという命令だ(ちなみにポスティングは1年中やらされる)。

炎天下40℃近くの真夏、毎日歩きながら各家庭にポスティングをおこなうのだが道路の表面温度は優に50℃近くだ。灼熱のなか、ポスティングを強いられるのだが先輩は高層マンションばかりを担当して楽をするのだ。そしてチラシがなくなって事業所へ戻ってくると別の地域の地図を渡され再度ポスティングに行かないとならない。

これを1日繰り返すのだ。
毎日、熱中症におかされて帰宅すると体は震えているのである。

そんな悪夢のような真夏を過ごすことになったのだ。そんな時、僕は店長にポスティングにより熱中症で倒れる危険性、また広告の効率の悪さ、費用対効果など疑問符が付くため、見直しを含め店長から社長に掛け合ってもらえないかや、もしやるならもっと効率のよいメールやネットを使ったマーケティング広告などを提案するのだが、会社自体古い体質で縦社会の為、店長が社長を翻意することなど到底できず尚且つそんなITを使った効率的なマーケティングとは真逆の会社の為、当然、店長は首を縦に振らないのである。

そんな灼熱で熱中症の恐れのある、悪夢の日が続き精神的にも体力的にも限界に来ていたのだ。
これを続けたら「体がもたない。早かれ遅かれ死ぬだろう・・・」そう身体的危機を感じた注意欠如・多動症(ADHD)は例の如く店長に辞意を表明するのだが・・・

事務所待機中の夜中に社長に「精神的にも真夏の熱中症疑いで肉体的にも限界でありこのまま業務を続けるのが困難な為、辞めさせてもらいたい事。葬儀業界の事をなんら理解しておらず安直な気持ちで志望した自身の考えを後悔している事。」そういった事を店長に伝えるも店長は「イエス」を出さないのである。まともに取り合ってくれないのだ「大丈夫できるはずだ」などという精神論を振りかざし、日を改めたり時間を変えてみたりして訴えても取り合ってくれない。

ここで更に嫌な思いをしたのが辞意を店長に申し出てから、冒頭に申し上げた「優しい50~60代の先輩上司」や経理の女性、そして周りの全社員の僕への態度が手のひら返しをしたように豹変し、それ以降、目の上のたんこぶ扱いをされるとともに、心無い言葉を毎回投げつけられるようになったのだ。ようは社内イジメである。小さい職場はこれがあるから嫌なのだ。

全員が僕の敵となったのだ。
そんな苦しい状況だが以前のように店長に辞表を投げつけるわけにもいかない為、僕はある行動に出たのだ。

それは精神的な支障をきたした為、診療内科に行き診断書を書いてもらうことにした。

実際これが功を奏して無事退職にいたるのだが、その過程が面倒だった。僕にまともに取り合わない店長宛てに診断書を郵送で送る。診断書には医師より「過度のうつ病で精神に支障をきたしているため、業務継続は困難である」旨記載してもらい(といっても医師がそのように判断した)、自身の作った辞表と一緒に郵送するのだ。ただそれだけでは一方的な辞め方でマズイので、嫌ではあるが店長に電話をして詳細を説明した。

医師の診断結果の為、これ以上拒否して働き続けて訴えられでもしたら会社としてマズイと判断したのだろうか、ハラスメント店長は僕の退職を渋々了承するのであった。

僕は入社当初から本当にこの店長や社員たちが嫌いだったので、いざというときの為、日々僕へのハラスメント行為を日記につけておき万が一何かあった時に対応できるようにもしていた。
いっそ退職後、労働基準局にでもそのハラスメント日記を差し出ようかと考えたほどだ。(ちなみに以前にも同様に退職時に退職後労働基準局にこの会社の苦情を申し出た輩がいたようだが、今現在、社内体質は改善していないということは焼け石に水だったか、この会社が全く変わっていないかのどちらかだろう)

またこの時の診療内科の診断の際にうつ病の背後の発達障害がちゃんと診断されていれば、その後の僕の人生も少しは変わっていたかもしれない・・・