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詳しい職歴⑤ コールセンター(ISP)

コールセンターイメージ

From Adobe stock


デザイン会社を半ば強引に退職した僕は数週間ほど心が「空っぽ」になっていた。特技のテニスも専門で学んだデザインの仕事も断たれた僕はこの後何をしてよいのかわからず半ば家に引きこもっていた。

そんな息子を見かねてか親父は時間があれば求人雑誌に目を配りながら息子の次なる仕事を探していた。ある日親父より「おい。こんな仕事どうだ?」と呼ばれた。求人雑誌に目を落とすと「コールセンターのオペレーター業務」と書いてある。勤務地は都内で時給は1700円で派遣社員。悪くない時給だ(今に比べて昔の方が高時給案件ばかりだった)。

しかしコールセンターなどやったこともなく職場環境もイメージが湧かなかった為、「コールセンター??そんなの俺できるかな?第一クレームとか多そうじゃない?」親父は「時給がいいぞ。いままでの仕事がうまくいかないなら全く環境の違う未経験の仕事をしてみるのも面白いかもしれない」と言う。おやじもADHDだな(笑)。なるほど・・・「未経験の仕事」。
このキーワードに注意欠如・多動症(ADHD)脳は反応した。「確かに面白そうだ」やってみよう! 決断すればあとは早い注意欠如・多動症(ADHD)。早速、派遣会社に登録して仕事が決まった。

父親に勧められて軽い気持ちでやった仕事だが、皮肉な事にここは結果的に10年もの長期間続けることができた唯一の会社である。

実家からドアツードアで1時間ちょっとだ。そこの業務は当時全盛期だったISP(インターネットサービスプロバイダ)のコールセンターで今では数少ない超大型のコールセンターだった。今でこそコールセンターは災害のリスク分散や地域の雇用拡大の関係で各地に点在しているが、昔は1点集中で大規模コールセンターがメインだったのだ。都内の大型ビル1階フロアを借り上げており聞いたところによると家賃は月に数千万円らしい・・・(家賃〇〇〇〇千万円って。どんだけ高いんだよw)

センター内は横幅200m,縦幅50mほどはあるだろうか、フロア以内には常時1000人ほど着台しており入った瞬間、1000人のオペレーターの話声に圧倒される空気だ。さらにひな壇があり順にSV(スーパーバイザー)、MG(マネージャー)、そしてトップのセンター長ほか幹部と上段になるほど重鎮が座る仕組みとなっている。

研修は1度に数十人規模で開始するが座学研修を終えOJT(実際に研修担当が横にいる状態で電話を取り始める業務)を開始する頃には十人程に減っている。みな顧客に怒られたり、業務内容についていけず脱落していくのだ。やってみた感じ僕としては色々な人と会話できるし、特に苦手な事務的な書類仕事やミスの許されない綿密なプログラミング業務などもない。
ある程度PC内には業務のイントラネット(業務内の情報が格納されている社内情報サイト)を見ながら調べて回答できるのでそこまでストレスはかからない。そしてクレームも下記に述べる理由で比較的対処し易かった。ただ大手の為、サービス情報量が多いので「覚える」のではなく「いかに素早く情報を探せるか」がポイントとなる。そしてもし分からない場合は保留にして上司にエスカレーション(質問する)だけでよい。

「なんていい職場なんだ!」と内心喜んでいた。

そんなこんなである程度独り立ちして電話が取れるようになった頃、ある壁にぶつかる。リーダー(エスカレーション先で座っている上司)との相性なのである。発達障害は業務内容もそうだがそれにもまして対人関係(特に対面での現存する人間とのコミュニケーションに難があるのだ)。丁寧に教えてくれるリーダーならいいが。高圧的だったり、不親切な指示しかしないリーダーも多いのである。その為、売り言葉に買い言葉になりやすく結構口論になったりして、本来のお客様対応でないことにストレスと神経をすり減らす機会が多いのだ。

チームリーダーとはオペレーターを経験している為、本来そういった事を理解したうえでリーダーになるべきだが、やはり人間同士、どうしても相性というものがあるのだ。では別のチームリーダーに聞きに行けばいいではないか?と思うかもしれないが、これが中々難しい。あなたがリーダーの立場に立ってほしい。近くのオペレーターが自分を素通りして隣のリーダーにエスカレーションにいったらどんな気持ちになるだろうか?嫌な気分になるはずだ。自分の指示だしが悪いからって?みんなそうとは思っていないはずだ、自分が嫌だと思っているリーダーは実は他の人には良いリーダーだって思われている事は多々ある。

そんな事情でどのオペレーターも例外なく「社内の思わぬ敵」と並行して戦わなければならないのだ。ただ幸いなことに毎日座席は変わり出勤するリーダーも毎日変わる。これが発達障害の僕としては幸いなことだった。ストレスが軽減され嫌なリーダーとの接し方も少しづつわきまえるようになってきた。

いままでの自分に比べ大きな進歩だ!そして更に幸いな事にその頃にはチーム配属され他のオペレータとも仲良くなっていたし、さらに他のチームの別のオペレーターやリーダーとも仲良くなっていて気づけば複数のコミュニティが誕生していたのだ。僕は元来体を動かす球技スポーツが大好きであった為、そのころにはテニスサークル、野球サークル、フットサルサークルなど複数のコミュニティーサークルに所属し、休日の練習や試合参加に打ち込み、気づけば仕事以上の熱量をサークルに費やしていたのだ。

テニスサークルでは合宿でコーチ役として他のオペレーターのテニス仲間に無償で教えてあげたり、皆でワイワイ泊りがけでキャンプしたりするのだ。野球も同様に練習し強いチームと対戦したりする。そして一番ハマったのがフットサルサークルでサッカー経験の男の子が主将となり僕たち未経験者を教育してもらい頻繁に対外試合を行いレベル上げをしていってスーパービギナーズ大会(スーパービギナーズと言ってもサッカー経験の多いクソ強いチームがゴロゴロいる大会)などで優勝したものだ。大学のサークルみたいで「もう毎日が楽しくてしょうがない」この時期が今思い返すと、仕事人生で一番楽しかった時だった。

そんな充実していた頃、思わぬ出会いがあった。社内恋愛で彼女が何人かできたが実はその中の1人が現在の「妻」なのだ。

奥さんとの出会いは彼女が新入社員として入ってきた時に僕がOJT担当として彼女を教えたのがきっかけだ。最初は彼女がOJT担当の僕に好意を持っていたようでそれから付き合うようになった、という流れだ。彼女曰く当初の僕の印象は「優しく、親切で面白かった」ようだ。彼女は結局クレームが苦手で早期に退職してしまったが、僕たちは社外で付き合っていた。付き合っている間は何度も別れたり復縁したり色々紆余曲折はあったが最終的には今は毎日冗談を言いながら友達のように仲良くやっている。

話を戻そう。そんなで僕のこの仕事は順調に進んでいき、僕のADHDの意外な特性が買われてある部署へ配属となったその意外な特性とは「クレーム対応が上手い」事だった。本来、発達障害の人はクレーム対応などは苦手な部類に入る人も多いと思うが、僕はその苦行に向いていたのだ。

クレームというと皆のイメージは「怒鳴られる、怖い、どう対応してよいかわからない」等のイメージをお持ちかと思う。確かにその通りだがそれは正しくは「クレーマーと正面から向き合っていない」のである。あなたも何かのサービスで納得いかず文句をコールセンターのオペレーターに言ったとしよう。その際に適当にあしらわれていたり、言い訳されたり、逃げようとしたら猶更そのオペレーターに怒りをぶつけると思う。「それが」いけないのだ。クレームは訳すと「主張、要望」だ。
クレームには大別すると2種類あって「本当に困ってサービスを変えてもらいたくて伝える」パターンと、「憂さ晴らしで文句を言いたくて言ってくる」パターンがある。真剣にお客様と対峙しなけならないのは前者だ。ポイントは3つ。

①「傾聴=お客様の声に真摯に耳を傾ける」
②「謝罪=お客様がお怒りになり問い合わせてこられたという事象のみお礼と謝罪をする(絶対、顧客の主張内容には謝罪しない)」
③「提案=お客様に全て吐き出させて、同情を適宜入れ、落ち着いた頃にこちらから解決策や代替案を提案をする」

この3つを正確に粘り強く行えば殆どのクレームを解決できるのだ。(ただし1つでも不足していたり、誠意が欠けたりしてお客様にオペレーターの心理を見透かされた場合は失敗しクレーム要因がオペレーター起因となりお客様の感情は激情し悪化の一途をたどる)

そしてもう1つのクレーム「憂さ晴らし目的」の後者の場合は適当にヘッドセットを少しずらして(真剣には傾聴せず)要所要所で相槌をうちあとは右から左に聞き流すだけ。それでお客様の熱が収まれば終わり、おさまらなければ上司に対応方針を仰ぐだけでよい。まともに対応する必要はない。(理不尽な主張は殆ど「毅然と断る」で終了。もしお客様が裁判を起こしてもこちらに非はなく、大手企業などには強力な顧問弁護士団がいるためお客様は敗訴するのだ。「憂さ晴らしの為、金かけて訴訟を起こして敗訴」どうぞどうぞご勝手に裁判を起こしてくださいというスタンスでいい。(ただ応対を相談する上司がオペレーターに理解ある人でなければ、対応の際にオペレーター側で身の綻びが必ず発生して、事後対応はスムーズにいかなくなる)

上記3点のクレームのコツが僕はお客様対応で自然と身に付き、それが買われてクレーム対応の多いアウトバウンドの部署のチームリーダーまで昇進できたのだ。そしてそこでも働きを買われ各チームを管理するSV(スーパーバイザー)になれたのだ。発達障害では信じられない昇進だ。TLは自チームのオペレーターを管理したりエスカレーションを受けたりするポジション。
SVは現場の裏方にまわり各チームをまとめるマネジメントとなる為、マネジメント力や数字(チーム内の実績やリーダーの管理)が必要となってきて、エクセルなどVLOOKUPやマクロやの能力も必要になってくる。僕はVLOOKUPやマクロはできなかったが人へのマネジメント(フォローや勤怠呼びかけ、やる気にさせる施策)などは得意で、例により事務処理や数字の管理が苦手だったが、管理者の面白みも経験できて貴重な体験だった。

ただそんな順風満帆の職場でも1度だけチームリーダーの時に重大なインシデントを起こしてしまう。
それは今でいう個人情報漏洩の類だが、よくニュースなどで大問題となる大規模な外部への漏洩や悪質な漏洩とは少し状況が異なる。状況を簡単に説明すると以下のとおりだ。

①お客様の「会員証未着の為、接続できない」のクレーム対応が始まる

②お客様の要望「仕事の関係で今すぐ接続できないと困る為、ID,PWを開示して接続させろ」を聞き取る(未着はお客様起因ではない為)→クライアントにエスカレーション(相談)する。

③(クライアントより今回に限り)ID、PWを紙で記してFAX送信せよという指示がでる。(その時はまだ書面のやり取りは郵送かFAXをメインで使っていた時代だった。)
※ただし条件として1枚目にIDを記しFAX送信してお客様がそれを確認した後、2枚目にPWを記しFAX送信し別々で送るという条件(誤送信防止の為)

④ ③を了承して頂けたらFAXでID、PWを分けて送信する

応対のながれで①②まで問題なく進んだが③をお客様へ説明した所、お客様は激高される「ID、PWを一緒にFAXで送れ今すぐしろ、そうじゃないと引き下がらない」というのだ。当然、誤送信防止の為である旨を何度も顧客へ説くも一向に首を縦に振らない。
再度クライアントへのエスカレーションを改めて行うと回答がでるまで時間を要する為、お客様は拒否。困った僕は現場にいるSVへ判断を仰いだがそのSVへのエスカレーションの際に僕がSVを丸め込んでしまったのだ。それは「お客様は急いでいらっしゃる。クライアントへの再確認も不承。今すぐ答えを出せ。その為、1度に1枚の紙でID,PW両方を記載しFAXで送らないと納得されない。」それを力説しSVに承認させたのだ。

エスカレーションしたSVはその事案を殆ど把握しおらず、僕の勢いに飲まれたようだ。(申し訳ない...)かたち上SVの了承をもらいその後、お客様へFAX送信。(送信時はダブルチェックあり)無事FAXが届き、お客様はID、PWの確認後接続可能になり事なきを得て胸を撫でおろしたのもつかの間、その「FAXで一度にID、PWを僕が送信した事実」が次に受電したオペレーターの対応でクライアントに知れてしまい、指示を無視して業務を遂行し、会社に多大な損害を冒してしまうリスクを背負った為に最終的に僕は会社に「始末書」を提出せざるを得なくなってしまったのだ。

マネージャーに呼ばれ事情聴取を受け許可したSVの責任話にもなった為、僕は許可を得たSVを庇い「すべて僕の一存でSVを丸め込み、このような顛末となってしまった事を謝罪。 全て僕の責任でありSVに責任はない為、SVは不問にされるべきであること」を懇願し全責任を被ったのだ。

一連の事象では発達障害の特有の症状が見え隠れする。それは自閉スペクトラム症(ASD)の障害で①②はできたが③④を「自分の判断」ですっ飛ばしてしまい失敗した事。自閉スペクトラム症(ASD)は指示が抜け落ち、思い込みで物事を下すことがある。そして両障害(自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD))特有の「想像力欠如」による背後の重大リスクを見抜けなかった事である。

このインシデント(指示通り対応せず起こったインシデント)は典型的なヒューマンエラーだが裏には重大なリスクが伴う。もし1度のFAXで誤って第三者にID、PWをまとめて送ってしまいそれが万が一、誤送信し悪用された場合、当然企業側の責任となり企業への損害賠償責任にもなりかねない。追い込まれた状況でお客様目線で良かれと思ってやった事だったが、実は会社の存続自体を危うくするという背後の重大リスクまで「想像力を巡らせ」配慮できなかったのは今振り返るとこのインシデントは「発達障害」が起因していたもので間違いないだろう。しかも上司に相談しているにも関わらずその上司を丸め込むという荒業までやってしまったのだから。

しかしインシデントを起こしたのにその後チームリーダーからSVになぜか昇格ができた。なぜ昇格できたかは今振り返っても謎だ・・・そして現代でもニュースで情報漏洩事件(故意、故意でない問わず)が出るたびにつくづく「重大事件とならずに本当によかった」と胸を撫でおろすとともに「改めて襟を正さなければ」という思いである。

その後、時は流れ最終的にはこのコールセンターも地方へ移転となり、僕も地方赴任を経験しながらこの会社が請け負う様々な場所のコールセンターを経験して勤続10年が経ち無事退職に至る。
(その間にも多少人間関係でのトラブルはあるがこれ以上は長くなってしまうので割愛する)