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詳しい職歴⑪ ヘルプデスク時代

オペレーターイメージ

From Adobe stock


前職で満員電車で2回も倒れたトラウマとちょうどコロナの影響もあり電車に乗っての通勤は苦痛になっていた僕である。ましてや悪質なパワハラを経験すると精神的に落ち込み、物事の多くを悲観的に見やすくなっており、今思えば発達障害による二次障害のうつ病となっていたのである。

こうなるとストレスを溜めてまで電車通勤はできなくなり、次の仕事はリモートか家から通える近場の職場の仕事を探すようになっていた。もう10回以上も転職を繰り返している為、自分の中では転職はあたりまえのイベントとなっており、次の仕事も「いつもの何かが原因」で続かないだろうと自分自身も感じていた。

「どうせ転職しても職場環境や人間関係がトラウマとなりやめるんだからバイトでもいいかな」と考えていた。
例によりいつもの求人サイトを開いていると「ヘルプデスク業務」という求人が気になった。求人内容は大手通信会社のヘルプ業務で派遣社員、コールセンター業務と同じように電話対応の業務だった。
時給も1700円とよかった為、応募し即採用が決まった。事業所は最寄り駅にあり、インフラ的要素をはらんでいた通信業界の為、24時間対応している部署だった。僕は輪番(夜勤)するのが嫌だったので日勤希望で業務を希望して採用が決まった。

同期は30代位の女性ひとりで、新人研修は僕含め2名で研修が始まった。ここのヘルプデスクは過去のコールセンター業務と違い、新人研修は研修室を借り切ってある程度の人数まとめて1~2か月座学研修から詰め込み式で行うのではなく、現場で空きスペースを使いながら、現場SVが僕たち新人の2人の間に着座し業務研修をしてくれるスタイルであった。

同期の女性はヘルプデスク業務は経験があったようだが、通信業界のヘルプデスクは初めての様子であった。研修担当の男性SVは年齢30代位で第一印象は「とても優しくて尚且つ親切で丁寧に教えてくれる」いままでの仕事人生の中で、一番上司や同じ部署にいてほしいと思う理想的な人であった。

業務内容は学校や各自治体などからのICTの問い合わせ対応(タブレッドや設置されたルータやその他の通信機器のサポートがメイン業務)でその名の通りヘルプデスク。ただ過去のコールセンター業務と違って業務が細分化されており、コールセンターの様に社内のナレッジに従いその場での解決をするというのではなく、顧客の要望を聞き一旦預かって後日、架電対応するというスタンスだった。また業務ナレッジは整備されておらず、その場で解決できる問い合わせは限られていた。
簡単に言うと問い合わせ窓口の一次受けであり「御用聞」のようなものだ。

そしてここが更に厄介なことに問い合わせを預かっても、回答までどのくらい時間がかかるのか?回答がでたら誰が対応するのか?(他のベンダーも別の場所で同業務している為)どのような対応方針になるのか?も僕たち一次受けでは分からないのである。さらに業務細分化に伴い対応可能なSV(業務内容を把握しているSV)もそれぞれの業務によって理解が分かれている為、新人としてはどのSVに質問してよいかが分かりにくいのである。

問い合わせ入電は1時間に数件程度で現場では日中2~3人のオペレーターが着台しており、お問合せを捌いている印象だ。そんな中、1人お局のような中心的存在の中年女性のオペレーターがいて、見た目も話方もパワフル。その方はどうやらここでの経験も長くやスキルもある為、全て一人で業務をこなしてしまうそんな存在の人がいた。SV含め周りもこの女性オペレーターには頭が上がらないようで、オペレーターなのに何故か現場で一番権力を持っているような方だった。

しかしその後、例の如くこのお局と僕は「やり合う」事になり、最終的に退職にせざるを得なくなる僕であった・・・

1~2か月の研修を終え現場でOJT業務を始めた僕たちであったが、既に新人が更に2名増員され計4名となっていた。
そんななか新人が入電対応しながら、不明点は業務情報ナレッジ(いちを形式的には存在する)を参照しながらわかる範囲で回答し、それでも分からなければ保留にして一旦SVにエスカレーションをする形式だ。例により各業務問い合わせの内容や対応方針が異なり、指示を出せるSVも限られている為、新人としてはその「運用」自体を最初に把握するのに苦労をしていた。

そして厄介なことに上記の「お局女性」は全ての業務に精通しており、研修担当の男性SVに丁寧に教えてもらいたくても教えられる業務が限られるため、どうしてもその「お局女性」に不明点を聞かなけれなならない。そのお局女性はいちオペレーターでありSVという管理者ではないため、管理者としての資質(教え方や新人への指導、フォロー)という部分においては欠けていた。対お客様への説明はできても、「部下に分かりやすくに教える」そういったスキルが不足していたのだ・・・

OJT対応で不明点をエスカレーションするもいつも説明が分かりづらく、発達障害に苦手な「そうすればいい、ああすれば、そんな感じで、こうやってあとはだいたいわかるでしょ?やってみて分からなかったら聞いて」など抽象的かつ具体性に欠ける説明ばかりでとても発達障害を持った新人の僕には理解できるものではなかった。同期にも聞いてみたが表立って当人の前で「説明が分かりづらい」とは言えないようであったが、傍からみてても僕と同様苦労をしているようであった。

そんな状況が続き、僕は職場で徐々にストレスをためながらも我慢してOJTを受けていた僕だったが、やはりお局に対してのアレルギーは日に日に増すばかりであった。そんな折、SVをまとめるチーフ的立場の上司と定期面談の機会があった為、その際にその旨つたえ、お局についてはなんとか対処してもらうようにはなったが、職場の中心的存在のお局には周りの上司も強く言えないようで、かつ全ての業務に精通していた為、残念ながらその後も状況はあまり好転しなかった。

そんな状況の中、お局から新人に対して業務の補足研修があった時の事、僕は発達障害特有のあるい悪い癖がでてしまい、お局との関係を拗らすことになる。その癖とは「相手の気分を害する言動」である。

詳細はこうだ。補足の座学研修の際に「お局が作成した業務のナレッジが新人からすると分かりづらい」という趣旨を僕はお局に対して述べたのである。当然「自分が作成したものが分かりづらい」と他人から指摘されると誰でも気分を害すると思う。ましては入ったばかりの新人から言われたのだから・・・その時の心情は如何ばかりである。その後、お局が反撃にでたのである。

翌日、お局とマネージャーに個別に呼ばれた僕は、「研修の際に僕に発言を控えるよう」に言われたのである。

当然、お局は僕に対して「強い不満」を抱いている様子だった。そして先方の意思としては「新人なんだから業務内容に文句や意見を言わず、だまって研修を受けなさい」という趣旨らしい。まあ当然と言っては当然だが、これも自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)特有の症状なのだ。「ナレッジが分かりづらい」という当然の事をいってなんで僕は怒られるのだろうか?と僕は腹が立ち、同期の新人もみな困惑していると勝手に人の気持ちを憶測で代弁してしまうのだ。いつものように事業所(この仕事)で働く意欲が急激に失せてしまい、売り言葉に対して買い言葉(お局に対しての不満や他のSVの業務対応可能範囲が限られるなどの不満)を思いの丈を、お局本人とマネージャーに伝え、最後はいつも通りのケンカ別れのような感じでの退職となったのである。

しかもそのお局は何と僕が登録した、派遣会社と同じ、派遣社員であった・・・
その一軒があり派遣担当者に事の一連のお詫びを伝えるも、自社の同じ派遣社員同士が揉めた派遣社員に、その後仕事を紹介してもらえるはずもなく・・・


・・・そして、とうとう僕は精神的、肉体的共に社会生活=仕事を行うことができなくなり、半年間の間ひきこもりとなるのである。

そんなある日、新聞広告にて「ADHD、発達障害」という言葉がある事を初めて知り、急いでネットにて最寄りで大人の発達障害が診れる病院を探した僕は精神病院の門をたたくのであった・・・・