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WAIS-Ⅳの検査から数日後、僕は再び一人で精神科を訪れていた。いよいよ、最終的な診断が下される日だ。
臨床心理士さんから渡された検査結果のグラフは、僕の脳の「凸凹(でこぼこ)」をはっきりと示していた。もう、覚悟はできていた。いや、むしろ「早く教えてくれ」と、その瞬間を待ち望んでいたのかもしれない。
「きのやんさんは、発達障害で間違いありません」
僕の検査結果と、これまでの問診、そして母からの聞き取り内容を総合的に判断し、女医さんは静かに、しかしはっきりと告げた。診察室の重い沈黙を破る、その一言。それは、僕の40年間の人生を根底から覆す、判決のようだった。
診断名
広汎性発達障害(自閉スペクトラム症=ASD)
及び
注意欠如・多動症(ADHD)
その言葉を聞いた瞬間、不思議と涙は出ませんでした。体中の力が、ふっと抜けていく。張り詰めていた糸が、静かに切れる音を聞いた気がした。
そして、心の奥底から、じわじわと込み上げてくる感情。それは、絶望でも、悲しみでもなかった。
「そうか、やっぱりそうだったのか!」
まるで、ずっと覆いかぶさっていた分厚い雨雲が、一瞬にして消え去り、突き抜けるような青空が広がっていく。そんな、晴れ晴れとした気持ちだった。
「あなたのせいじゃ、なかったんですよ」
そんな僕を見て、女医さんは優しく、そして力強く続けた。
「仕事が続かなかったのも、人間関係がうまくいかなかったのも、きのやんさんの性格や努力が原因ではありません。全て、脳の特性によるものだったんです。あなたは今まで、右利きの世界で、左手一本で戦ってきたようなもの。本当に、よく頑張りましたね」
「あなたのせいじゃない」
その言葉が、僕の心を完全に救ってくれた。僕という人間を、丸ごと肯定してくれた。
僕は、ダメな人間なんかじゃなかった。社会不適合者でもなかった。ただ、他の人とは少しだけ違う「脳のクセ」を持っていただけなんだ。
そう思えた時、僕は初めて、自分の過去を、そして自分自身を、許すことができた。15回以上も繰り返した転職も、数え切れないほどの失敗も、全てがこの「診断」という一つの答えに繋がっていたのだと、腑に落ちた。
長かった暗闇のトンネルに、ようやく光が差し込んだ。
僕の人生の、本当のスタートラインは、ここからだった。