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コラム:大人の発達障害者の私から見た「定型発達症候群」という考え方について

マイノリティを受け入れる

以前、読んだ本「発達障害を生きる(NHKスペシャル取材班)」の中で興味深い記事があった為、そちらについて述べてみたいと思う。

「定型発達症候群」とは神経生物学的な障害であり、対人関係への没頭、優越性の妄想、周囲との協調に対する固執を特長とする。定型発達の人々は自分の経験が唯一の正しいものと考えがち。1人でいる事が困難で、他者と些細な違いに不寛容である。集団でいるときは柔軟性がない。直接的なコミュニケーションが苦手で、自閉スペクトラム症の人々に比べると嘘をつくケースが多い。悲劇的なことに、1万人のうち9625人が定型発達症候群である可能性がある。
(The Institute for the study of the Neurologically Typical より)

発達障害を生きる(NHKスペシャル取材班) 集英社 (2018/4/26)


皮肉交じりだが的を得た文章で我々発達障害者当事者からすると「納得」の文章である。
1988年自閉スペクトラム症と診断された海外の一般女性が創作したとされる言葉です。
この本での解釈的には定型発達症候群は「はっきり本音をいうのが苦手」「人より優位に立ちたがる」「独りぼっちが不安でたまらない癖に集団に属したとたん、偉そうになる」など発達障害の人からみた定型発達の人の姿を現したものです。

さらに「自閉スペクトラム症の人は共感性に乏しい」とされてきた定説も京都大学、福井大学などの共同研究によりそれが覆されたといいます。

A:定型発達者がやりがちな行動 と B:自閉スペクトラム症の人がやりがちな行動を文章化したものをそれぞれ定型発達者と自閉スペクトラム症の人に見せ、脳の「共感」にかかわる部位の活動を調べた結果は

A=自閉スペクトラムの人は共感部位は低調。定型発達の人は共感部位は活発。
B=自閉スペクトラム症の人の共感部位は活発。定型発達の人の共感部位は低調。


であったとの事で、この研究から見える事は自閉スペクトラム症の人は多数派(定型発達症候群)の考えには共感できなくても、少数派(自閉スペクトラム症)の人の考えには共感できる事。定型発達者は同じ定型発達症候群に共感できるだけで、少数派には共感する力に乏しいと立証されたのです。


そもそも私はまえまえから「発達障害」という言葉自体に違和感をもっていた。それはなぜかというと発達障害と言われる私たちではあるがその根源は「脳機能の偏り」であり「脳の故障」ではないからです。今は「アスペルガー症候群」という定義ではなく「自閉スペクトラム症」という定義に変わったのも、「自閉症」の特性がスペクトラム=連続体で続く事を意味しており、少なくとも定型発達の人も「脳機能の偏り」がありスペクトラムの境界線内である為です。その為、程度の差はあれども定型発達者も、私たち「発達障害」といわれる人たちと同じように脳機能の偏りが多少なりともあり、それに応じて性格や考え方が形成され個性があるのです。
(イメージとしては定型発達者の自閉度(脳の偏り)が1~3だと仮定すると、グレーゾーンの人が4~6あたり、発達障害の人が7~10あたり)

言ってしまえば「弱」発達障害者が「強」発達障害者を「障害者扱い」し、のけものにしているだけであり、本質は同じだからです。
いわゆる「発達障害」の人は少数派の脳であり、定型発達の多数派の人たちと考え方やモノの見方が異なるだけなのです。
これは言ってみれば身体の障害をもつ人や知的障害を持つ人も同じことがいえ、同じ人間として身体機能、知能機能が多数派か少数派なだけで、根本の人間という部分では同じだからです。

こう考えると、私たちの住む社会は常に「定型発達症候群」の人向けに作られた社会であり、多数派の社会と言えます。しかし動物をはじめとするあらゆる生物も同様に多数派だけで存在するわけではなく、少数派もたくさんいてそれぞれに個性、役割がありこの地球を形成しているのです。
繰り返しになりますが、この地球上を生きるすべての生き物が等しく生を与えられ、それぞれの人生や生きる役割があるわけで、他者を思いやりそれぞれの考えを尊重し共存し合うことで、お互いがよりよい世界を構築していけるのだと思います。そしてこれからもっと「他者理解」が求められる時代となるのです。

なので私たちは障害者であると気落ちする必要は全くなく、マイノリティの人々であり、自分たちの能力を卑下するのではなく、むしろ誇りをもって主張し、もっと正々堂々と胸を張って生きていっていいのです。
そのなかで生きづらさを感じるのであれば、それは定型発達症候群が作り上げた、定型発達症候群ありきのいわば仮想社会の「現実」に根本原因があり、これからのSDGsに求められる持続可能な社会形成していくために我々はマイノリティ共存社会を叫び続けていけばいいのです。

PS:ある種の理想論を述べたが、現実には多数派(定型発達症候群)が少数派(発達障害)を理解する事は困難で、そういった社会になる為には恐らくあと何十年場合によっては100年以上もの相当歳月を要するだろう。上記で述べた、考えは常に持ち「はやり他人の考えは変えるのが難しい」事を理解しつつも、発達障害で重要な事は早くから自分の「適性」と「自身の脳の偏りの癖」を把握し、常日頃から自分を客観的に見るクセをもちながら、周りにも困りごとを伝え、自らが過ごしやすいよう社会生活をしていく必要があるだろう。

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