このページは、僕きのやんの物語の「総合目次」です。僕の人生には、大きく分けて2つの物語があります。
一つは、診断を受けてから、自分らしい働き方を見つけるまでの心の軌跡を綴った「本編」。
もう一つは、このサイトの原点となった、15回以上の転職の失敗談を赤裸々に語る「特別編」です。
あなたの今の気持ちに寄り添う物語から、ぜひ読み進めてみてください。
本編:診断から、僕が「支援する側」になるまで(全11話)
「生きづらさ」の正体が分かったあの日から僕がどうやって自分と向き合い、新しい道を見つけ出したのか。その心の軌跡を綴った、メインストーリーです。

第1話
大人の発達障害という言葉を知る。新聞記事との出会い
ひきこもりのある日、何気なく広げた新聞。「仕事が続かない」「空気が読めない」「すぐキレる」…そこに書かれていたのは、僕の半生そのものだった。点と点が、線になる瞬間。

第2話
転職過多や妻のカサンドラ症候群について
なぜ、僕は15回以上も転職を繰り返してしまったのか。そして、僕の「普通」じゃない言動が、一番近くにいる妻をどう追い詰めていったのか。診断に至る、二つの大きな要因についてお話しします。

第3話
精神科のドアを叩く。支援員さんとの長い電話
勇気を出して、最寄りの精神科に電話をかけた。そこで対応してくれた支援員さん。僕のこれまでの経歴を、一つ一つ丁寧に聞いてくれた。初めて、自分のことを真剣に聞いてくれる他人に出会った。

第4話
女医さんとの初診。僕の人生を紐解く問診
優しい女医さんの前で、僕はこれまでの人生をぽつりぽつりと語り始めた。子供の頃のことから、15回以上繰り返した転職の話まで。誰にも言えなかった心の傷を、初めて他人に打ち明けた。

第5話
WAIS-Ⅳ(ウェイス・フォー)知能検査を受けた日。僕の脳みその中身、大公開
臨床心理士さんと個室で数時間。パズルや計算、記憶力のテスト…。僕の脳の「得意」と「苦手」が数値で暴かれる。言語機能は高いのに、非言語機能は低い。この凸凹こそが、僕の正体だった。

第6話
診断が下りた日。「あなたのせいじゃない」という言葉に、心が救われた
全ての検査を終え、再び女医さんの前に座る。告げられた診断名は「自閉スペクトラム症とADHD」。絶望ではなく、僕が感じたのは「安堵」だった。40年間の苦しみが、報われた瞬間。

第7話
診断後の僕が、まず始めたこと。就労支援サービスを自分なりに調べる
「で、これからどうする?」診断を受けて、僕が最初にしたのはネットでの情報収集だった。「就労移行支援」「就労継続支援」…未知の言葉を一つずつ調べていく、希望と不安の入り混じった日々。

第8話
自立支援医療、受給者証、障害者手帳。僕が踏んだ、ややこしい手続きの話
診断後、次なる壁は「手続き」。何から手をつければいいのか分からない。市役所と病院を行ったり来たり。僕が実際に経験した、各種申請と取得までのリアルな道のり。

第9話
移行、継続A型、B型。僕が全ての就労支援を体験して分かったこと
百聞は一見にしかず。僕は、考えられる全ての就労支援サービスに足を運び、体験した。それぞれの事業所の雰囲気、プログラムの違い、そして僕が感じたリアルな感想。

第10話
障害者雇用向け転職エージェントを調べ尽くした話
「すぐにでも一般企業で働きたい」という選択肢も考えた。各社の特徴、求人の質、サポート体制。僕が徹底的に調べ上げた、転職エージェントという道の可能性について。

第11話
そして僕は最終的に「支援する側」になった。僕がB型事業所の選んだ理由
移行、継続、転職エージェント。全ての選択肢を検討した僕が、最終的に「就労継続支援B型事業所のスタッフ」という道を選んだ理由。15回以上も仕事を辞めた僕が、今、思うこと。
❗
僕の物語はここまでです。次は、あなたの番です。
僕の経験が、今まさに悩んでいるあなたの「道しるべ」になれたら、これほど嬉しいことはありません。
いくつかの簡単な質問に答えて、あなたに合った「次の一歩」を見つけてみませんか?
特別編:15回以上の転職、そのほぼ全記録(全11話)
なぜ僕は仕事が続かなかったのか?このサイトの原点となった僕の失敗だらけの職務経歴の詳細です。あなたの悩みと重なるエピソードがきっとあるはずです。
※実際は非正規や短期間、1日で辞めた仕事などを全て合わせると転職回数15回以上となりますが、膨大なボリュームとなってしまうので割愛し、ここでは特にエキサイティングな代表例11個を載せています。
社会という名の巨大な壁(20代の転職地獄)
繰り返す絶望(30代以降の転職地獄)
ジ・エンドまでのカウントダウン(40代以降の転職地獄)