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㉕大人の発達障害が原因で転職を繰り返した私の経験から、発達障害者が仕事を続けていくための大切なポイントを考察

自分の性格イメージ

私は過去10回以上の転職の経歴がある。
経歴ページに記載していない職歴も含めるとおそらく15社前後の転職歴があるのではなかろうか。

TOPページにも記載しているが、その転職過多の原因はずっと「就職氷河期世代」だからと20年以上思い続けてきた。

しかし、その転職過多の本当の原因が自身の脳機能の障害(発達障害)だと知ったのはつい最近になってからの事である。学生時代を終え新社会人として社会に出てから早25年近く、就いた会社では必ずと言ってよいほど自身に合わない仕事であったり、上司と馬が合わなかったり、職場環境が合わなかったり、なじめなかったり、そして対人関係でトラブルを起こしたり、ハラスメントまがいの事をされたり、厄介者扱いされたり、精神的に滅入ったりと、ずーっと苦しい思いをしてきた。

今思えば「その原因」の大半は自身の発達障害である事が分かり、納得できるのだが、まだ分からなかったこの20数年間は本当に本当に苦しい思いをしてきた。そんな過去の自分に今会えるのであれば言ってやりたい。
この苦しみの原因はお前の脳機能の偏りである」と。それを聞いた昔の私はどんなに驚き安堵するだろうか。

まだこの障害が世間に認知されていない時代を私は生きてきた。すなわち自分自身がまさか「障害者」であるとは分からず、まるで盲者が己を盲者と分からず、ずっと暗闇の中歩き続け、ここはどこなのか?どこに進めばいいのか?なぜいつも暗闇のかなでさまようのか?なぜいつも暗闇は俺を攻め続けるのか?どうしたらこの暗闇から逃れられるのか?を考え続け生きてきた。途中で暗闇の中、歩くのに疲れうずくまってしまったり、何もやる気が起きなくなって動けなくなってしまったり、そしてその「暗闇」すらを批判しながら、もがきながら無我夢中で生きてきた。

そして「それ(発達障害)」が原因で様々な会社を短期間で転々とし、仕事上のスキルや社会スキルを向上させる事すらできず中年になってしまったのである。

本当に時代が時代だっただけに正に私の失われた30年近くである。

ただ挫折しても這い上がり、嫌な思いをしてもあきらめず、その時自分で選べる仕事を自ら選び、チャレンジしようとした過去の自分に言ってやりたい「もう無理はしなくていいんだぞ。お前はよく頑張った。これからは自分の望むように生きていいんだ」と。

 


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目次

大人の発達障害が原因で専門学校を卒業後、ほぼ数か月~1年のスパンで転職を繰り返すようになる

大人の発達障害でも中には10年近く続けられた仕事もある

大人の発達障害は実家業ですら人間トラブルを生じやすい

私が一番合わず苦労した仕事は、体育会系かつ閉鎖的人間環境の葬祭業と集団嫌がらせのコールセンター、そしてハラスメント上司がいたコールセンター業

特に30歳以降から仕事上の生きづらさが倍増していく

発達障害者が仕事を続けていくには、「自身の障害特性の把握」と「周りの理解や協力」が必要不可欠そして重要なのが「自分を客観的に見て対処する力(メタ認知力)」である。

 

大人の発達障害が原因で専門学校を卒業後、ほぼ数か月~1年のスパンで転職を繰り返すようになる

私の詳しい過去の経歴については経歴ページを参照してほしい。

私は小学校5年生から両親の影響で硬式テニスをはじめ高校までずっとテニス漬けの毎日を送ってきた為、幼少期から青年期までは発達障害自閉スペクトラム症(ASD)+注意欠如・多動症(ADHD))を起因としての困り事をほとんど感じずに生きてこられた。

それはなぜかと言えば、「ずっとテニスだけをやっていればよかった」からである。もちろん学校でやる義務教育はまじめに受けていた、昔の日本の教育はまだ詰め込み教育で暗記さえすればテストなどは如何様でもなったからである。そして小中学校と授業が終わったら毎日すぐ帰宅してテニススクールに通っていたので、友人づきあいもそんなになかったし、学校内での煩わしい友達間での人間関係もあまり持たなかった。というかテニスが全てだったのでそういった事に時間を費やしている暇がなかったのである。

そして高校はテニスのスポーツ推薦で入った為、私は人生で受験というものを経験していない。(形式上、受験テストは受けた。また大学も言っていない為)
その為、幼少時代から学生時代はテニスだけ打ち込んであとは適当にしていても、苦労はなかったのである。ただなぜテニスは辞めずにずっと続けられたかと問われれば「テニスが好きだったから」と「自閉スペクトラム症(ASD)特有の飽きずに同じことをずっとやってこれた」、「注意欠如・多動症)ADHD特有の様々なテニススクールを転々とし、実力に合わせた環境に身を置けたから」である。
すなわち好き+障害特性+環境が合致していたことが要因と考えられる。

しかしテニスも体格の問題(小柄で華奢な為)から高校で諦め、コンピューターグラフィックスの専門学校に2年通い、社会にでてから発達障害において最も大切な「適性」と「環境(周りの無理解)」2つの要素が上手くかみ合わず、発達障害特有の様々な特性の問題から職場、人間関係になじめず短期間で転職を繰り返していくようになる。

特に注目すべき点は殆どどの仕事も数か月または半年~1年程度で転職を繰り返している事だ。
私の経歴を見て頂ければわかるのだが、在籍期間は3か月~半年という超短期間が一番多い。
いま冷静に分析すれば、そんな短期間で多くの転職を繰り返すという事は、その根本的要因は就職先企業にあるのではなく自分自身の「何か」に問題があるはずなのだが当時の私にはその「何か」は分からなかった。発達障害は特に自己を客観的に分析したり見たりする事が苦手な為である。また当時は「発達障害」という言葉すら皆知らない時代である。

その為、短期間での転職の原因を私はずっと就職氷河期世代なので仕方がない」と考えていたのだ。


大人の発達障害でも中には10年近く続けられた仕事もある

ただそんな中でも10年という長期間仕事を続けてこれた仕事もある。
この差は何なのだろうか?おそらく私が思うに発達障害はできる事と出来ない事、合うことと合わない事の差が激しいという特性がある、その為、就職した企業や転職先の仕事や人間関係含めた職場環境次第では長期間続けられる可能性があるという事である。

いま冷静に過去を思い出しながら考えてみると、ある1社だけ10年もの長期間、仕事を続けられた要因は何か?を考えた時、真っ先に思いつくのが「職場の仲間」や「職場環境」があげられる。この10年間は主にコールセンターのオペレーターやリーダー、スーパーバイザーなどを行っていた時期で、上司部下関係なくみな分け隔てなく仲が良く、業務外は皆でテニスやフットサル、野球などをしたり、大学のサークルのようなノリでワイワイ楽しく仕事ができていた。まあ若かったということもあるが兎に角、職場環境が楽しかった。そして仕事自体もクレームは多々あるものの、上記職場環境から職場の仲間にも恵まれ、適度にストレスの発散などもできたのである。

しかし10年近くも勤めていると社内では当然、部署移動や転勤、配置換えなどが起きるもので、最後の方にはそんな仲間達とはバラバラになり、クライアントも変わったり、仕事内容も大幅に変わったりして「職場の人間関係」や「職場環境」も次第に自分に合わなくなっていった。
この長期間続けられた仕事を最終的に辞めた要因は「実家業を手伝うため」であったが、上記のようにやはり発達障害特有の「職場環境の変化」や「人間関係の変化」により最後は職場に自分自身が合わなくなっていたというのが正直なところだろう

 

職場ハラスメントイメージ

 


大人の発達障害は実家業ですら人間トラブルを生じやすい

そんな経緯もあり次にやった仕事は実家業(仕立て上がり着物のEC販売)であるが、こちらの仕事はどちらかというと、だれにも邪魔されず自分のペースで仕事ができる。そして写真撮影や画像加工など時間を忘れて没頭できる。という事もあり自分としては適性や障害特性に合っていた仕事であった。
しかしやはりEC販売は孤独な仕事であり、兄や父はいるもののECに関して基本的に相談できる人もいなければ、有効なアドバイスをもらえる人はおらず常に不安との闘いでもあった。

そんな状況から発達障害は不安な状況になると、その不安を自分で収めたり処理する事ができず、人により症状の出方は様々だが、私の場合はコミュニケーションにおいて問題が出やすくなってしまう。
父や兄も発達の傾向がある為、お互いコミュニケーションにおいて衝突が起きやすくなってしまうのだ。

この仕事も辞めた直接の理由は「ECの売上を私一人分の給料分上げられなくなった」為であるが、やはり自身が持つ障害特性が起因としてコミュニケーショントラブルが生じ、同時に家族の(障害への)無理解によって困難な状況に陥る事は多かった。
その為、この実家業の様に如何に仕事内容自体が自分の適性や障害特性にあっていたとしても、コミュニケーションをはじめとした人間関係や周りの人の理解がない状態だと仕事も続かないのである。
先ほどのコールセンターのように仕事内容自体はあまり自分自身には合わなかったが、職場環境が合った(楽しかった)パターンとは真逆である。

そう考えると発達障害者において仕事は「自身の適性」や「障害特性」だけ合っててもダメだし、逆に「職場環境」や「職場の理解」だけ合ってても結局はダメなのである。自分の適性と職場の理解が合わさって初めて長く続けられる可能性があるのだ。



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私が一番合わず苦労した仕事は、体育会系かつ閉鎖的人間環境の葬祭業と集団嫌がらせのコールセンター、そしてハラスメント上司がいたコールセンター業

数ある転職歴の中で私が一番つらかった仕事は経歴にある の葬祭業とコールセンター2カ所である。

まず⑧の葬祭業。ここが発達障害をもつ私に合わずストレスを溜めていく原因となったものが「旧来的思考」と「無意味な体育会系」、そして「閉鎖的人間環境」である。
まず勤めた会社自体が旧来的思考で、自社広告をいまだチラシなどの紙媒体に頼っている点。そしてそのチラシを社員が毎日決められた数、歩いてポスティングしなければならないという「無意味な体育会系」的視点。
そして本部や店長を絶対の長とし、上のご機嫌を取りながら社員一同働かなければならないという、旧階層的かつ閉鎖的人間環境である。


私は社員が毎日ポスティングをしなければならない点に関して、非常に不合理かつ社員の健康にも問題を及ぼす危険性を店長に説明しなんとか翻意してもらうよう直談判するも、「本部の決めた事は絶対である」という意味不明な指令から継続させられたのである。
真夏の40℃以上する屋外でクラクラになりながら永遠とポスティングをさせられることに生命の危機を覚えながらも、毎日まじめにやった。先輩は高層マンションばかりやりたがり新人の私は戸建てメインでやらされるため、ポスティング効率が圧倒的に悪い。熱中症で倒れる寸前の毎日である。会社からも休みながらやれという指令はでるものの、休みながらやった所でノルマの500枚や1000枚など到底終わらない。
そんなチラシ途中で捨ててしまえばよかったと思うだろうが、過去にチラシを捨てた社員がいたらしくその社員は処分を受けることになったという。
先輩や同僚にこびへつらいながら熱中症で死ぬ覚悟でノルマを達成するか、熱中症で死ぬか、処分覚悟でチラシを捨てるか、とっととこの会社を辞めるかの選択肢である。

しかもその不条理なポスティングシステムに合理的異を唱えてからというもの、店長や社員の私を見る目が変わり、「何をこいつは言っているんだ」「新人のくせに生意気言うんじゃない」という目で見られ、手のひら返しで嫌がらせを受ける事になる。私が話しても皆無視をしだし、意見を言っても上から目線で断絶され、店長に相談しても「それは貴方が悪い」というような始末である。

この仕事は結果的に考えると私の発達障害が起因しての「言ってはならない一言」が原因で最終的に職場環境を悪くし自分自身の首を絞め辞めざるを得なくなったのだが、仕事内容を覚える以前に企業的にも働く社員にも問題が多かった。発達障害の仕事という点において今考えると「自身の適性」を図る前に「職場環境」や「職場の理解」という点にそもそも問題が多かった職場であった。

つづいては⑨の免許系コールセンター
この職場は基本コールを受けるのはほぼ大学生という少し変わったコールセンターであった。
自社グループへの人材派遣業と免許系のコールセンターも運営するという二足の草鞋を履いた会社だ。

私はそのオペレーターを束ねるスーパーバイザーというポジションで採用に至ったのだが、当然まず最初はコールを受けていきながら業務を覚えてゆくのだが、スーパーバイザーの上のマネージャーの男性社員は当初は私にとても期待をしてくれており、過去の経緯(私がコールセンターで管理職をやっていたころの事やアイデアなど)に興味津々で話を聞いてくれていたりしていた。

ここのコールセンター業務は過去私が経験したプロバイダーのカスタマーサポートやテクニカルサポート業務とは異なり、チラシやHPを見た学生からの入電で免許契約を結ばせるという事務手続きメインのカスタマーサポート業務であった為、少々勝手が違ったのだが、最初は何とか早く覚えようと自分もコールを受けながら学んでいった。
分からない点や運用確認は社内にいる営業担当に確認するという運用であった為、私もコールを受けてわからない点は営業確認に確認を取ったのだが、この営業担当といかんせん馬が合わないのである。

堅物で上から目線で「〇〇してください!」「〇〇しないでください!」というステレオタイプの人材であり、発達障害をもつ私はその物言いが気に障り、聞き返したり不明である事を再度伝えるもさらに頑固に返してこられ、業務どころではないのである。
そんな営業担当の指示だしの仕方に違和感とストレスを覚え、先述のマネージャーや、私を採用した人事担当にその旨伝え、何とか対処してもらおうとするも、最終的にはその「私の事(会社に文句を言ったという事)」自体が社内稟議にかけられ、副社長の一存でマネージャー含めた全社員が手のひらを返し、皆で私を排除しにかかるという顛末に陥るのである。
(なぜ副社長かというと、社長は一度も会社に顔を見せた事がないゴースト社長で、副社長は出社してもすぐ奥の部屋で寝そべっている輩であった)

先述した私の話をよく聞いてくれていた男性マネージャーはそれ以降、私の接し方を180℃変えるようになった。私の肩を持つことはなくなり、さらに研修中の私に対して勝手に「仕事ができない」というレッテルまで張って、採用担当と一緒に最終的に私を雇い止めに持っていくという暴挙にでるのだ。あからさま且つ無茶苦茶な仕打ちである。
会社としては私に対し「過去にコールセンターの管理者までやっているんだから文句ひとつ言わず、早く業務になれろ、文句を言うなら辞めさせる」とでも言いたいのだろう。

ここもきっかけはいつものように「私の発言や指摘」から起因しているのであるが、あろうことか正論を言った私が、最終的に組織全員から排除されるという中小企業特有の村八分を受けるのである。
結局この職場も発達障害という点において考えると「適性」も合わず、「職場環境」や「人間関係」は最悪な状態で「職場の理解」とは程遠い環境であった。

⑩最後はプロバイダのコールセンター
最後はプロバイダのコールセンターで、しかも経験職のテクニカルサポートメインの仕事であった為、私は「おそらく大丈夫だろう」という安易な気持ちでいた。

ここのコールセンターではオペレーターとして採用されたのだが、過去経験した1か所で大所帯のプロバイダーのコールセンター像とは異なり、複数個所に分散している関係でここは上司であるリーダーが3~4名ほどしかいない比較的小さいコール部署であった。
仕事内容的には過去に経験のある職種で問い合わせ内容ややっている事も似ている為、比較的適性はある方だったし、仕事自体そんなに苦ではなかった。

しかしある日、ある男性リーダーと言い争いをしてからというもの、急激に職場環境が悪くなり、私はそのリーダーに対して強いストレスを抱えるようになっていった。(詳しくは経歴を参照してほしい)

大所帯であればそのリーダーを極力さけてエスカレーション(対応の保留中にリーダーに不明点を聞きに行く事)できるのだが、ここは日に2~3名のリーダーしか出社しておらず、他のリーダーが埋まっているときは、この嫌なリーダーにエスカレーションに確認に行かざるを得ないのである。
このリーダーとは馬が合わないというレベルではなく、同じ空間に一緒にいたくない、顔も見たくない、声も交わしたくないというレベルである。

そんな状態が続き毎日仕事でロシアンルーレットをやらされているくらいのストレスを感じていた私はとうとう通勤途中の満員電車で2回意識を失って倒れたのである。いわゆるモンスター上司である。

そうなる前に何とかしようとリーダーの上司のチーフに相談するも改善されず、社内のハラスメント窓口に相談するも話はきいてくれるが改善せず、社内の弁護士相談窓口に相談するも同じく話は聞いてもらえるが改善にいたらないという何とも悲惨な結末であった。
確かにきっかけはいつも私の「空気の読めない発言」や「何気ない一言」が起因しているのかもしれないがそれにしてもこの仕打ちはない。

この職場も発達障害という観点からみると仕事自体の「適性」はある程度あったものの、「職場環境」や「周りの協力や理解」という点においては上記の集団ハラスメントのコールセンターと同様、最悪であった。 

職場の人間関係トラブルイメージ

 

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特に30歳以降から仕事上の生きづらさが倍増していく

以上の様に特に30歳を過ぎてから、私の転職歴の後半になればなるほど仕事上や職場での困り事は大きくなっていった感がある。

まだ脳が若い10代20代は発達障害特有の困り事が生じても、比較的柔軟に考えたり対処できていた感じがあるが、30歳を超えたとたんからその困り事に対して自身の対応がスムーズにいかず、ストレスも強くなっていった気がする。

発達障害は生まれつきの脳機能の偏りからくるものである為、現代医学では治すことはできず一生涯を通して付き合っていかなければならないものだが、今までの人生を振り返えると、やはり若いころに比べ歳をとってくると脳機能の低下から発達障害特有の困り事が顕著化してくるのではないかと身に染みて感じるのである。
また若い頃から受けてきた発達障害特有のストレスや精神的ダメージが少しづつ自身の心に蓄積していき、歳をとって中年となってくる頃には取り返しのつかない状態となり、二次障害を発症し、ひきこもる人もおおいのではないだろうか。



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発達障害者が仕事を続けていくには、「自身の適性把握」と「自身の障害特性の把握」そして「周りの理解や協力」が必要不可欠さらに重要なのが「自分を客観的に見て対処する力(メタ認知力)」である。

以上、私の職務経歴を例に、発達障害が原因で転職を繰り返してきた過去を簡単に振り返った訳だが、発達障害(自閉スペクトラム症(ASD)+注意欠如・多動症(ADHD))を持つ私が自身の経験則を踏まえて、改めて発達障害者が仕事を続けていけるためのポイントを述べたいと思う。



ポイント1 自身の適性把握および障害特性の把握が何より重要

まず何はともあれその仕事が自分に合っているか否かが重要である事は言うまでもない。
これは定型発達者も同様である。自分の適性に合っていない仕事を選べば長続きしないのは目に見えている。まず自分にはどんな仕事に適性があるのか?をしっかり把握する事から始める必要があるのだ。
さらに適性把握の前に自身の障害特性の把握が重要となる。定型発達者であれば就職前の適性把握だけでよいが、発達障害者はその障害特性に大きく左右される。その障害特性は発達障害者ひとりひとりちがったものである為、自分の障害特性をしっかり把握することが非常に重要になるのである。

ポイント2 周りの理解や協力が不可欠

自身の障害特性の把握ができ、職業の適性を把握する事は非常に重要である。しかしそれだけで発達障害者が仕事を長く続ける事は難しい。その理由はその困り事が、職場で働く周りの人に見えづらく、当事者たちの困り事を一緒に働く仲間に理解してもらえないからである。

ここが見えざる障害という所以である。一般採用で採用されると、周りは私たちを外見からでは発達障害者と分からないその為「通常の人=定型発達者」として接してくる。彼らにとってみたら私たちはクセのある、ある種扱いづらい、変な人たちである。そして人は異物や異人を排除しようとする性質がある。そのような状態で我々と周りの定型発達者がお互い上手く仕事をしていける訳がないのである。
彼らの「なんだこいつは?」「めんどうな奴だな」という考えを「発達障害者なのか」「障害者か・・・ならしょうがない」という考えに変えていく必要がある。

上記理由からクローズ(障害を公表しない)での仕事は発達障害者にとって困難を極め、職場に定着しずらいのである。かといってオープン(障害を公表する)での就労の場合も、企業サイドがまだ発達障害の理解において不足しており、会社にいる全員が我々発達障害者に対して有効な対応方法を会得していない現代では、まだまだ発達障害者に対して働き易い職場環境とは言えない。
そんな中で我々当事者や周りで働く人々にとってみても、お互いストレスのたまりやすい環境となってしまい、トラブルが生じやすく就労が定着しにくい要因のひとつとなっている。

その為、発達障害を持つ人は一般就労に比べ「発達障害」において周りの理解や協力が得られ易い「障害者雇用」という選択肢や、就労支援など職場環境の調整が重要になってくるのである。

職場の理解イメージ

 

ポイント3 自分を客観的に見て対処する力(メタ認知力)

上記を踏まえ、現在の私はと言えば、自身の障害特性把握と適性検査(適職検査)を経て、障害に配慮のある職場に就けている。尚且つ、労働時間も今までの様にフルタイムだと疲れてしまうので、ストレスにならないように自身で調整しながら働けている。その為、ストレスは限りなくゼロに近い。
ただやはり仕事なのでストレスは全くゼロかといえばそうではなく当然発生する時もあるし過去の様に自身の不用意な発言や言動から自分自身マイナスとなってしまう事もある。

そんななかにおいて就労後、最も大切な事は「自分自身を俯瞰的かつ客観的にみて対処する力(メタ認知力)」である。

自分が発達障害と分からなかった当時は当然、障害からくる特性を自分自身で客観的に見ることはできなかった。今思えば「ああ、あの時たしか自分は相手にこんなことを言ってしまったな」とか「こんな事をやってしまったな」と思い出すのだが、発達障害と分かった今なら「あ、いまこんなことを相手に言ってしまった。怒らせてしまっただろうか?」「さっきこのように返答してしまったが、相手は気分を害していないだろうか?別の意味でとらえてしまったのではなだろうか?」など自分の言動を俯瞰的かつ客観的に見れるようになり、その場で周りとの認識のズレや軌道修正を自ら行う事ができるようになった。そのおかげで本当に円滑に仕事ができるようになったのである。俗にいう「メタ認知」というものだ。

また私はピアスタッフ(同じ障害を持つ支援員)という立場で日々、就労支援施設で同じ障害をお持ちの方たちと接する事が出来る環境であるため、障害のある方たちを通して自分自身の障害特性を客観的かつ冷静に分析できるようになった事は大きなことだと感じている。

意識して日々気を付けていけばできる事なので、皆さまもぜひこの「自分を客観的に見て対処するスキル(メタ認知力)」は身に付けて頂きたいと思う。


 


 


以上が、私の発達障害が原因で転職を繰り返した経験則から言える発達障害者が仕事を続けて行けるようにするポイントである。

発達障害を持つ人は転職が多いと巷に言われるが、それはあながち間違っていない。
ただその転職過多の原因は発達障害を持つ当事者側だけにあるのではなく、働く周りの理解や職場環境すなわち雇用側にもあり、その雇用側の状況次第で我々発達障害をもつ者が仕事を続けて行けるか否か、大きく左右されるものだと分かっていただけたのではないだろうか。

皆様も「自身の障害特性の把握」と「自身の適性把握(適職検査)」そして「周りの理解や協力」を得られる職場環境にぜひ就いていただきたいと思う。
さらに将来的には仕事をしていく上で「自分を客観的に見て対処する力(メタ認知力)」を養い、発達障害を持っていても心身共に充実した就労生活が送れるようになって頂きたいと思っている。


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