ついこないだ「おすすめ書籍」でも紹介している「発達障害者支援法ガイドブック」を読んだ。
その書籍を読み感じた事の詳細を今回は述べたいと思う。
成立から改定まで12年もかかる
おすすめ書籍のページでも述べているがこの議員立法が成立したのが2004年の今から18年前である。18年前と言えば私が26歳の時で社会に出てからそんなに時間が経っていないときである。
今思えば26歳の時に「発達障害」という言葉すら存在自体を知らなかかった訳で、存在自体しらないものを自分事として考えるのは不可能な時代であった。推測であるがなぜ20年も前にそのような法律が作られたにも関わらず、私たちの様に疑わしい成人に認知されなかったのか?そして20年以上も経った今、わかるようになったのか。
それは成立当初の「発達障害者支援法」の趣旨によるものだと私は考える。
そもそも成立当初の発達障害者支援法は発足のきっかけが「発達障害を持つ子供たちの親御さん」からの強い希望で国会議員に働きかけが行われ超党派議員たちの議員連盟が立ち上がり議員立法として成立した経緯があるからだ。
日本では長い間「発達障害=子供の障害」と認知されてきた節があり、発達障害は子供がなるものという認識であった。そういった事もあり「発達障害者支援法」が成立した当初はまだ大人の発達障害という概念自体が認知されていなかったか、または世間が認知していなかったかのどちらであろう。
その為、成立当初は子供の発達障害支援という面が強かった。
その後2010年以降あたりから「片付けられない女たち(サリ ソルデン著)」で、女性の注意欠陥障害(ADD)などの書籍の影響もあり少しづつ世間に大人の発達障害というものが広がり始めたのではなかろうか。そして日本ではやっと2016年に「発達障害者支援法」が改正されその障害が医療モデルではなく社会モデルとして認識され、幼児期から高齢期まで切れ目のない支援制度が確立されるようになった。立法から法改定まで12年もかかってしまった。
30歳までに自身が発達障害だと分かり、支援システムが構築されていれば私の人生ももっと違ったものになっていたであろう
もし私が26歳で「発達障害者支援法」成立の際に、国や自治体、民間含めて世間一般でこの障害が広まり認知され支援機関や診断可能な医療機関も用意されていれば「経歴」にも記載してあるとおり、30代以降からの人生がより生きやすくなっていたと想像する。30歳から今までの約15年間の更なる度重なる苦悩の人生を送らずに済んだかもしれない。そして世間に対しても国に対しても企業に対しても不信感を募らせることはなかったのではないかと思う。
確かに「発達障害」自体は昔から子供の障害と認知されていたが、大人になっても引き継がれ治らないものだとはその時理解されていなかったであろう。そして立法から新たに様々な問題点や課題を拾い出し、法律をさらに実情に沿うようにするためにはある程度の年月を有する必要があった事は理解できる。
ただ発達障害においては脳の機能障害であり、早期発見、早期診断、早期対処が必要である為、行政が早期に予算をかける事により医療、民間含めてもっとスピーディーに動けたのではないかと思う。そして脳の機能障害である限り大人でも起こりうると予見できたのではないか。
発達障害者支援法が成立した今でも、氷河期世代をはじめ多くのミドル世代の発達障害者が見過ごされている。このツケはさらなる将来の社会保障増大という事実
現在、教育の現場では「特別支援学校や学級」などで発達障害児をサポートするようになったが、我々のように人口ボリュームが比較的多い団塊ジュニア世代から我らロスジェネ世代である就職氷河期世代の発達障害や疑われる人が相当数いると想定される。そういった人たちを如何に国や自治体、そして民間の支援機関、および企業が支えられるかにかかっている。このまま何も手立てを打たなければ、生活保護含め将来の社会保障費はさらなるペースで増大し、相応の社会保障の負担増と様々な社会的リスクが増大する。
逆に手立てを打てれば社会保障増大は最小限に抑えられ、当人たちが就労に就けた場合は更なる税収入も期待できるという一石二鳥である。そして暗闇の日本に生きる希望の一筋の光を見出すことができ当事者たちの生きがいへと変わるであろう。その為に行政は「待ち」の政治ではなく「押し」の政治を行ってほしい。
今、内閣府や厚労省で行っている「就職氷河期世代支援プログラム」で救い上げられる世帯はわずかだと推測される。それは我々ロスジェネ就職氷河期世代は国からも企業からも社会からも20年以上も見捨てられ続けた苦悩の世代であり、半ば「諦めの世代」である。そんな世代に対していまさら「支援します。ついてきてください」と言われ尻尾をふって参加するような人たちではないからだ。ならばいっその事、国の政策の非を認め、国だけでなく積極的な支援策を自治体含め、あらゆる民間企業(就職先の民間企業が年齢制限ばかりをかけ非協力的であれば絶対に成功しない)が足並みをそろえ支援、サポートする必要があるだろう。
引きこもり世帯を把握し様々なアプローチから発達障害の診断、就労支援までサポートする、ひきこもりの定型発達者にたいしては積極的に就労サポートをメインに行う。その為にはまず「発達障害診断可能な医師を増やすとともに」それにかかわる専門員、支援者を並行して増やす。そして障害の有無にかぎらず「気づき」を彼ら彼女らに与え何度でもチャンスを与えてあげる。そして何より大切なのは企業が「年齢」や「性別」「障害」で差別するのではなく、だれ一人残さないSDGSの精神の元、だれでもいつでも機会が平等に、そして何度でも挑戦できる社会を構築する必要がある。その為には一刻も早く前述したように「SPI試験などは撤廃」し、採用段階での「年齢差別」「障害者差別」を撤廃する必要があるのだ。これだけ人口減少が進んでも未だなお企業は若者たちを採用しようとすること自体無理がある。
(極論をいうと「障害者雇用」は障害者差別の制度そのものだと私は思う。現実には難しいかもしれないが定型発達者も非定型発達者も一緒にはたらける社会になってはじめて障害者差別をなくせるのだと思う)
国や自治体にはもっと「市民の声を拾いやすく」「先の予想を立てて」や「素早く対策」をとってほしい
少子化対策然り、我々就職氷河期世代問題然り、大人の発達障害問題然り、国や自治体がやる事すべてが遅いと言わざるを得ない
少子化問題においては数十年も前から叫ばれていたにも関わらず、未だ有効な手立てができておらず、就職氷河期世代においては25年以上も経つのに今だ我々の世代は社会から「のけ者」にされ続けており、大人の発達障害においてはここ最近認知されてきたとはいえ「発達障害者支援法」をはじめとした他の法制度でも主に就労対策などはとても十分とは言えない(国の支援機関数や発達障害を診れる医師数、その他支援者数が圧倒的に少ない)。国や自治体には国民が困っている事の声をもっと拾い易くしてほしいし、あらゆる諸問題を放置しているとこの先この国がどうなるのか?を想像力を働かせてほしいし、課題に対して何十年もかけるのではなく、対策を迅速に進めてほしいと思う。
政治とは「親分の意見を聞き入れるのではなく」「民の意見を聞き入れより良くしていくこと」
国民が期待することはなかなか実現しないか、実現しても長い歳月を有する一方、アメリカの圧力では秒速で法案が成立する。本当にこの国の政治はどこを向いているのかと思う。
政治は箱ものばかりに予算をかけ、ソフト的問題には予算を出さず、過去の製造業の成功体験にしがみつき、時代の移り変わりも読めず競争可能な産業を失い著しく国際競争力は低下し、出生率が下がり続けても子供を「増やせ」と言えば増えるものだと思い込み、労働の対価である給料は会社の一部の経営層が吸い上げ、労働者の給料が上がる事なく可処分所得は減り続け、増税と高齢者向けの政策に終始し、国民が住みやすい国造りを怠り子供を育てていく気も失せさせ、我々障害者もいつまでも障害者のままで社会からは排除され続ける。この国の問題すべてが改善とは真逆の政策しかしてこなかったツケである。国自体そういった重要課題の対策をしてこなかったが為に、日本という国はもはや先進国ではなくなり後進国に成り下がっておりすでにアジア諸国からも抜かれ続けている。
課題先進国と海外から言われるがその課題を増大化させ、引き返すことのできない状況にまで追い込んだのは紛れもなくこの国の為末者達なのである。その為末者である老害議員にこの国を任しつづけているとさらに私欲ばかりを肥やし、本当にこの国の若者はいなくなりいずれ消滅するであろう。
座していても誰も助けてくれない、なら自分で動く、そして人生は自分で切り開く
話は愚痴へと少しそれてしまったが、障害者支援においては日本はようやく大人の発達障害者にたいして正面から向き合い、すこしづつ手を差し伸べようとしだしたのである。諸問題はまだまだ山積だが民間もその流れに併せ様々な就労支援や企業も障害者雇用など我々の門戸は広がりつつある。時すでに遅しの感ではあるが、文句ばかり言っていても何も始まらない。
もう我々ミドル層は時間的にも後がない、今あるリソースを最大限に活用し、己の人生が少しでも好転するよう、そして少しでも意義あるものとなるよう自分自身の意思で動き切り開いていくしかない。そうやって自ら動くことで私のようにちょっとしたチャンスが舞い降り、何かの拍子で人生が少しづつ変わっていくかもしれないのだから・・・